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『月』――カラスの末期の目に映るもの[2018年11月24日(Sat)]

辺見庸『月』 15 より
大津波/遁走/カラスの大量死/身ぶり顔つきは、すでにそうされたことの無意識の再演であること/あかぎあかえが赤いおんなと番うまでの話

◆語り手「きーちゃん」の”割れ”(分身)である「あかぎあかえ」の記憶。「あかぎ」は過去からの遁走者であるとされる。

おとこは以前もカラスが群れとぶ風景を目にしたことがあるのだった。そのときは、冷たいみぞれが横なぐりにふっていた。海が黒くもりあがっていた。そうかとおもうと、海原が深い盆地のようにえぐれ、えぐられた分が巨大な水柱になって起ちあがったりした。水柱につっこむようにしてカラスたちがはげしく飛びまわっていた。その地方のカラスがぜんいんあつまったかのように、みぞれの空に黒い斑痕ができた。あれも喪だったのか。
カラスのほかに、たしかカモメもトビもスズメもいた。ひとも鳥も狂ったように泣きわめいていたが、音はなにものかにかき消された。無声映画のように。おとこは波をかぶった。顔の側面を流木か瓦礫にこすられ、手をあてると右耳がつけねからなくなっていた。大波の崖に、ひとの手がいくつかみえた。たぶん子どもの手のひら。すべてから音、声、色が、いともかんたんに、機械的なせいかくさで、ぬきとられていた。そのときまではみたこともない、あたらしい光景だったのに、まるでひどく古い、みなれた映像のように、ひとびとも、ものごとも、うごいた。みんな、おどろき、おそれ、あわてふためいていた。とおいむかしに、そのようにたんねんに役づくりされていたかのように、どこかわざとらしい動作で、あわてふためいた。なにか芝居じみてみえた。下手な芝居。
ひとの身ぶり顔つきというのは、おおむね、すでにそうされたことの無意識の再演である。卜書きがないようで、意識下にはある。ひとびとは村人Bや市民Aとなり、声のでない口をパクパクさせ、両手をバンザイして沖に流されたり、丘にむかって(なんだか鈍くさく)逃げまどったりした。たくさん死んだ。なにかのにおいがしていた。よくおもいだせない。プロパンガスだったか。腐ったタマネギの臭気か、化学物質が焼けるようなにおいが、ひとかたまり、まだ頭蓋にとどこおっている。いや、遺体を重油で焼くにおいか……。
いままで聾者どうぜんだったのに、ときどき、防音壁がこわれたかのように、いっしゅんだけ音と声が断片になって、洪水のようにどっと耳にながれこんでくることもあった。
「あ――」「あ――」「はっ、はっ、はっ……」
身も世もない悲鳴が、無神経な哄笑のように変形していた。ああなることはわかりきっていたはずだ……と、片耳のおとこはおもった。ああなることは……。ああなることはわかりきっていたはずなのだ、としょうじきおもうのだけれど、なぜわかりきっていたのかは、よくわからないまま、これまで何万回もおもってきたことを、またもなぞった。またある。またくる。ダルマ落としのダルマになったような墜落感。くりかえす崩壊感。永遠の徒労。悔恨はなかった。そんな上等なものは。ぜんたい、地震と津波を後悔してもはじまらない。かれは失った耳殻を気にした。しばらく突堤のあたりをさがしたのだった。海星(ヒトデ)はあったが、おとこの右耳はなかった。海があんなにも荒れているのに、カモメが海星をくわえて飛んでいた。耳のかたちをした赤い海星だった。
片耳を捨て、すべてを捨てて、ひとりで逃げてきたことをおとこは悔いていない。みんな死んだのだし、じぶんも形式上は「行方不明」あつかいではあったが、だれもかれが生きているとはおもっていなかった。片耳のおとこは50ccの原付バイクで逃げた。「親もねえ……子どももねえ……だれもねえ……」とうたうようにさけびながらはしって逃げた。そうだ、「悪者は追うものもいないのに逃げる」のだ。なにから?
わからなかった。過去からげんざいへ、か。場所から場所へ、か。ただ逃げたかった。ヘドロと死体と汚水だまりの原、幻影と予言の原をはしった。なんどもたちどまった。ゴム風船のようにふくらんだ死体たち。さまざまなメタモルフォーゼ。奇抜な。腕や首。足首。死者のぶぶんたち。パーツ。死んでいるのか生きているのかわからない、身じろいだのか、そうではなく、ただ傾いだだけなのか、ひとか、あるいは、ひとのような黒いかたまり。夢中ではしった。あれはなんだったのか、いやにさっぱりした終了感か終焉感。奇妙にさばさばした解放感もあったな。おとこの目もとが少し笑っているようだった。笑ったのではなく、ただゆがんでいるだけかもしれなかった。どうにもならない。どこまでもやられる。抵抗なんかできやしない。泣いても、祈っても、うたっても、しゃべくっても、だきあっても、なんにもならない。またかならずくる。かならず、かならず、平気でやってくる。どこまでやられるか想像がつかない。あれらはてっていてきに斬新だ。斬新にころし、斬新に破壊する。そうなると、こちらも、なんだってできる気がする。なんだって。おとこはカラスの死体をよけながらあるいた。
カラスがひとのような声で鳴いた。促音がない。だからか、いっそうふとどきにきこえる。ふらちに。「あ―― 」。また鳴いた。「あ―― 」。声がふしだらに尾をひいた。「あ――」。みるまに、宙を舞っていたカラスのうちの数羽が、鉄のくちばしを下にして、黒い礫(つぶて)になり、すいちょくにふってくる。すいちょくな悪意のように。あたまに突きささってくるようないきおいだった。カラスの礫をよけながら、おとこはおもった。かれらは空中でふいにプツンと命の糸が切れて落ちてくるのだろうか。それとも、旋回中にじょじょに気を失って落下し、地面で絶命するのか。落下してくるカラスの目にはなにがみえているのか。かれらにも「末期(まつご)の目」があるのだろうか。おとこは気にした。少しだけ気にして、じきに忘れた。死にゆくカラスらの目に、じぶんはみられていただろうか。どのようにみられたのだろう……。死んで冷たくなったカラスの目に、じぶんの静止画像がいちまい映ったまま、消えていないのではないだろうか。おとこのあたまのなかで、昔の水滴の音がこだましていた。それはもちろん、あたし(き―ちゃん)のあたまにもひびいた。とおい雨音、雨だれ……。頭蓋からなにかがもれていた。ずっともれつづけていた。ポタ・ポタ・ポタ……。

*『月』15、p.123〜126
聖書「箴言」28章(原注)

◆死んだカラスの目に「じぶんの静止画像がいちまい映ったまま、消えていないのではないだろうか。」という想像は読者を瞬時に凍り付かせる。


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