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辺見庸『月』[2018年11月15日(Thu)]

DSCN9032.JPG
ムラサキツユクサ。花期はとっくに終わったと思うのだが朝日の良く当たる石垣の根方に咲いていた。

*******

はじまる  石原 吉郎

重大なものが終るとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終りがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた未来をもつことに


  詩集〈足利〉より  『続・石原吉郎詩集』(思潮社現代詩文庫、1994年)

◆昨日の同じ詩集のすぐ次に載っていた「はじまる」という詩を、たとえれば力士が土俵にまく塩のようにして辺見庸『月』を読んだ。

主人公は「きーちゃん」という園の入所者。ベッドの上にひとつの〈かたまり〉として存在し続けている、性別・年齢不明のひと。

小説の終わり、まっ赤に濡れた「さとくん」が近づいてくる。たちどまって月を見た「さとくん」。そのことばを聞く「きーちゃん」。
そこから未来をはじめることができるか?――読んだ者は問われている。

読み終え閉じられてなお我々の生きている「いま」がビクンビクンとのたうっている小説。

*******

◆第18(150頁)のきーちゃんの独白――

あたしはなくてもいい、ないほうがよいと内心おもわれている、ひとつのかたまりだ。セイタカワダチソウにからまる、つまらないビニール紐やかわいた痰以下の存在だ。そんなことは知っている。きーちゃんと呼ばれ、ぱーちゃんと一括して総称されることに、もうとっくになれている。名は体をあらわす、だ。ふふふ。文句をいってもはじまらない。ただ、あたし(たち)には(にも)イシキかイシキのようなもの、そしてムイシキがある。だれにイシキがあり、だれにイシキがないか、そんなことはわからない。ビニール紐に十中八九イシキはないだろうけれど、セイタカアワダチソウがほんとうにムイシキかどうかなんて、きめつけることはできない。イシキが上等でムイシキが下等とだんていするのもおかしい。地球という巨大なムイシキは下等か上等か――くだらない設問だ。
あたし(たち)は、さしあたり、在る。当面、在る。なんのためかは知らねども、まず在る。ご迷惑かも知らねども、在るのです。在っちゃう。

   辺見庸『月』(角川書店、2018年10月)
   *初出は「本の旅人」2017年11月号〜2018年8月号

DSCN9066.JPG

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