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清岡卓行「遠足の弁当」[2018年11月10日(Sat)]

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遠足の弁当   清岡 卓行

 もう夕ぐれだ。あたりはしだいに暗くなってきた。霧雨も降りはじめている。どうすればいいのだ? 小学校の上級生である私は、山の麓や建築現場、あるいは、堀の急な斜面などで、うっかりひとり、半日近くも遊び果けてしまったのだ。浪費したその時間についての記憶が、ぼんやりと、しかし、取返しのつかない後悔のひとすじの思いにつらぬかれて、頭の中に漂っている。
 遠足の弁当がない。
 朝、早起きしすぎたので、自分の家の横の、雑草が生い茂っている野原のまんなかに、弁当をそっと隠しておいたのだけれど、心覚えの場所とそのまわりでどのように探しても、見つからないのだ。
 この寂しい野原を人はたまにしか通らないが、朝から夕方までの時間は、やはり長すぎる。誰かが取って行ったのかもしれない。いや、もしかしたら、野良犬か野良猫が口に咥えて、どこか遠くへ持って行ったのかもしれない。まさか小さな野鳥が、空中へ攫って行ったりはしないだろうけれど……。いずれにしても、あの弁当はもう、なにものかに食べられてしまっているのではないか?
 遠足なのでうれしくて、いつもより二時間も早く眼が覚めたのが、運が悪かったのだろうか? それから、調子がどうやら狂ってしまったのだ。慌てもので心配症の私は、前の夜、寝る前に、母に頼んで弁当を作ってもらっていた。アルミニウムの箱に御飯とおかずを入れた、いつもの弁当ではない。梅干を入れ海苔をかぶせたおにぎり数箇と、ゆで卵などのおかずを、竹の皮で包み、それをさらに大きな風呂敷でぐるぐる巻いて、背負えるようにした弁当である。
 私は水筒を左肩から斜めにぶらさげ、弁当を右肩から斜めに背負い、二つがちょうどたすきの形になるようにして、ずいぶん早目に家を出た。そんな恰好のほうが、リュングサツクを背負った恰好よりも、私はなぜか好きなのである。秋の朝の天気はすごくいいし、時間はたっぷり余っているので、しばらく遊ぶことにした。それで、野原のまんなかへんにある花崗岩のかけらの上、長い雑草に囲まれたところに、弁当だけをそっと、人眼につかないように置いたのだけれど。
 それにしても、時間はなんと早く経ったのだろう。信じられないくらいだ。そろそろ学校へ出かけようかと思って、池のほとりで蛇を追っかけるのをやめると、いつのまにか曇ってしまった空で、太陽はもう西に傾きかけていたではないか。雲の向う側にあるその太陽は、熱い味噌汁の中に落した卵のように、うすぼんやりと白く明るい、と思った。私のおなかが、よっぽど空いていたのだろうか? 自分の家の傍の野原にあわてて戻ってくると、あたりはへんに暗くなりはじめた。日没が近くなったのと、雨が今にも降りだしそうになったのが、重なったのだ。
 これでもう二度目だ。おにぎりの弁当を失くすのは。この前は、春の遠足のときであった。まったく同じようなぐあいにして失くしたのだ。私はどうして、こんな馬鹿げたことをくりかえすのだろう? 学校の遠足にも行かず、家に持って帰る弁当の残りもなく、ただ、空っぽになった水筒だけを、肩から軽くぶらさげて……。
 そうだ、遠足から持ち帰った弁当の残りはおいしい。遥かなところにある海や山や果樹園、そこで差していた日光や、そこで吹いていた風などの匂いがする、と母は言う。そのとおりだ。だからいつも、梅干を入れ海苔をかぶせたおにぎりを、二箇ほど余計に、竹の皮の中に入れてもらうのだ。遠足に疲れ、家に持ち帰ったそのおにぎり二箇は、竹の皮の中でもうひしゃげてしまっているけれど、母と私で一箇ずつ、おいしい、おいしいと言って食べるのだ。
 自分の家の玄関と居間と応接間に、もう明りがついた。お客さんが誰か来ているのだろうか? きっと、そうにちがいない。あの、よくやってくる女の呉服屋さんだろうか? 母は呉服が好きだ。反物をいろいろ眺めだすと、あれにしようかこれにしようかと、ずいぶん時間がかかる。しかし、母は相手とおしゃべりをしながらも、心の中では、私のおみやげの余ったおにぎりを待っているにちがいない。
 ああ、なんとも情ない、私の手ぶらの姿。自分でもいやになるではないか。この前弁当を失くしたとき、母はなんとも言わなかったけれど、がっかりしていた。今度はもっとがっかりするだろう。いや、呆れてしまうかもしれない。私はすっかり暗くなった野原の中を、あちこちと、まだ弁当を探しつづけている。雑草は霧雨に濡れているので、私の両手も、両膝も、すっかり濡れてしまった。霜降りの制服の上衣と半ズボンも、湿ってすこし重たくなってきたようだ。
 遠足の弁当はどうしても見つからないだろう、と私は絶望しているのに、なぜそれを探しつづけるのだろう? ほんとうは、絶望していないのだろうか?それとも、絶望の味をいっそう深く味わうために、空しい努力をやめないのだろうか?
 私はどこまでも弁当を、探しつづけている、泣きながら。
 


清岡卓行『夢を植える』(1976年)所収。
『清岡卓行全詩集』(思潮社、1985年)によった。



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