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心を偽造するわけにはいかない[2018年10月29日(Mon)]

DSCN8899ハト群-A.jpg

◆二十日余りの月が未だ空に残っている頃、鳥たちが群がり飛び、やがて二手に分かれた。
そのうち西方の上空を飛んでいた一団。向きを変えるたびに翼が白く輝いて見えた。

椋鳥のような鳴き声は聞こえないので、電線に留まったところでズームして撮って画面を見ると、鳩たちであった。珍しいことだと思った。

DSCN8902ハトと電線-B.jpg

◆◇◆◇◆◇◆

〈 恐怖の研究 〉より  田村 驤



心が死んでしまったものなら
いくらよみがえらせようとしたって
無駄なことだ
かれを復活させるために
どんな祭式が
どんな群衆が
どんな権力が
どんな裏切り者が
どんな教義が
どんな空が
どんな地平線があるというのか
たぶんブリューゲルだったら
重力よりも重い色感で
大きな橄欖樹を黙々と描いたかもしれない
空白をつくるためだ
空白によってしか答えられないからだ
空白の遠近感がどうしても欲しいからだ
空白のリズムをききたいからだ
ところで
行方不明になってしまった心なら
あっさり埋葬するわけにはいかない
死亡認定書も
火葬許可書も
偽造するのにぞうさはないが
心を偽造するわけにはいかない


*この詩は第1連が「10」と記され、以下、「9」「8」……と数字は降順に付されて行き、「1」の連のあとには「0」という数字だけあって、詩句そのものはない。
ことばは無いのだが〈魂〉がそこに在ることを感得せよ、と言っているのだろうか。

◆この詩にも「四千の日と夜」ということばがある。
田村驤黷フ第一詩集「四千の日と夜」がなぜ「四千」なのか考えてみたら、詩集が世に出た1956年は敗戦後11年、すなわちほぼ4000日である。その間の作品を収めたという意味だろうと見当付けてみた。
現代詩文庫の「自伝」を読んだら、果たしてそうだった。
しかし、そんなことは何でもない。

この〈恐怖の研究〉という詩で、上に部分的に引用した「9」の終わりが次のように書かれていることが重要だろう。

…(略)…
当方にはまだ名づけられない星がきらめき
その光りが地上に達するまでに
ヨハネの
ジョン・ダンの
ボードレールの
マラルメの暗喩がうみだされるだろう
これらの暗喩によって
数億の日と夜はわかれ
数万の日と夜は調和と秩序をもち
おお
ぼくの心のなかでは
四千の日と夜が戦うのだ


◆「数億」「数万」の日と夜のあいだに生まれ・死んで行った人間たちに連なる表現者として「ぼく」もまた世界を画し、調和と秩序の豊饒を生み、さらには破壊の昼と増殖の夜を生きて戦うことをやめることはない、と宣言しているのだ。
一口に「数億(日)」と言うが、換算すれば百万年に及ぶ人間の歴史に我も推参しようという壮大な気概を披瀝しているのである。
自負とそれがもたらす身震い――戦慄を覚えるほどの――「恐怖の研究」と題したゆえんである。

わずか一本の、しかし星の光りを集めて光る「針」、これを武器にした彼の破壊と増殖の戦いを読んでおこう。


8

日と夜のわかれるところ
日と夜の調和と秩序のあるところ
日と夜の戦いのあるところ
それは
一本の針の尖端
無名の星の光りにひかる針の尖端
歴史の火の槍
ふるえる槍の穂先

7

塔へ
城塞へ
館へ
かれらは殺到する
かれらは咆哮する
かれらは掠奪する
かれらは凌辱する
かれらは放火する
かれらは表現する
かれらはあらゆる芸術上の領域を表現する
白熱のリズムを
増殖するイメジを
独創的な暗喩を
危険な直喩を
露悪的なマニフェストを
偽善を弾圧するもっとも偽善的な芸術運動を


◆「殺到」し、「咆哮」する「かれら」とは、〈数億の日と夜〉を生きてきた――彼等の「生」そのものであるその表現を見つめ聴く者たちがいる限り、今も現に生き続けている――表現者たちであり、その中には「ぼく」もいる。
悪辣な暴徒のように「略奪/凌辱」するのは、「死んでしまった/心」を甦らせるためである。

この連の最終行「偽善を弾圧するもっとも偽善的な芸術運動」に至るまでの露悪的な表現には ボードレール「われは傷にして刀! /われは打つ掌(たなごころ)にして打たるる頰! / われは四肢にして引裂く車、 /死刑囚にして死刑執行人!」という詩が反響しているだろうけれど、自らを罰することすら厭わないのは、君子ぶった偽善の徒輩に抗うには他のすべがないからであり、「死んでしまったもの」同然の人々の「行方不明になってしまった心」は、そうすることで再び甦るはずだからである。
そうして何より、それを知っている(感覚している)「ぼく」として〈心を偽造するわけにはいかない〉からである。

*「恐怖の研究」は現代詩文庫『田村驤齊刻W』(思潮社、1968年)によった。
**ボードレールの詩は「われとわが身を罰する者」の第6連。村上菊一郎・訳『悪の華』によった(角川文庫、1950年)。


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