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藤田嗣治〈平和の聖母礼拝堂〉+遺品の「謎」[2018年10月18日(Thu)]

ノートル=ダム=ド=ラ=ぺ(平和の聖母礼拝堂)を完成させる

◆藤田嗣治展図録の図版最終ページには、最晩年の画家と君代夫人の写真が収めてある。

藤田嗣治と君代夫人.jpg

「完成間近のランスの礼拝堂のエントランスで語り合う藤田と君代」とキャプションが付いているから1966年ということになる。
「ノートル=ダム=ド=ラ=ぺ 平和の聖母礼拝堂」と名づけられたこの堂と内部のフレスコ画を紹介しているいくつかのサイトのURLを下に貼り付けて置く。

http://www.mmm-ginza.org/museum/special/backnumber/0908/special01-03.html

https://madamefigaro.jp/paris/feature/170724-foujita.html

http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-5239.html

◆今日手に入った近藤史人の評伝『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』は、フレスコ画制作に憑かれたように没頭する藤田の姿を描きつつ、地元紙の取材に答えた藤田の次の言葉を紹介している――〈この季節は最も素晴らしいひとときです〉
絵の具の乾燥と格闘する夏場の過酷な仕事が肉体を痛めつけていたことをおくびにも出さないコメントである。
上の写真についても「その表情は落ち着いて、幸福そのものに見える。」と記す。

完成した礼拝堂と内部の印象を近藤の本から引用する。

一九六六年八月三十一日、作業を始めて三ヵ月後、文字通り骨身を削るような作業を経てついに藤田はフレスコ画を描き終えた。ここに藤田最後の仕事となった礼拝堂が完成したのである。
礼拝堂は、「ノートルダム・ド・ラ・ぺ 平和の聖母礼拝堂」と名づけられた。かつてのエコール・ド・パリ時代、藤田は名前の意味を問われたときには、いつも「嗣治」という名には「平和の継承者」という意味が込められていると語っていた、その「平和」を意識した名だった。
礼拝堂が作られたのは、ランスの町はずれにある閑静な住宅街だった。通りに面した入り口の門をくぐると、広々とした庭に緑の芝生が敷きつめられている。小さな礼拝堂は、その中央にぽつりと静かにたたずんでいる。
内部へ入ると二十坪ほどの広さの空間がある。その四方の壁面には全面にフレスコ画が描かれている。題材は、キリストの誕生から復活にいたる物語である。
絵に包まれた小さな空間には、藤田の晩年の作品に共通する不思議な透明感が漂っている。祭壇の正面には、平和への祈りを捧げる幼な児キリストと聖母マリア。マリアは限りなくやさしいほほえみを浮かべている。
右手には「最後の晩餐」。これはあのレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を意識したのだろうか。
そして手前には十字架にかけられたキリストとその下で祈る群衆の姿。その画面の中には、藤田自身の姿が、小さく描かれていた。
群衆の中に紛れ、知らなければ見落としてしまうに違いないささやかな自画像。
白髪の藤田は、十字架上のキリストをすがるような眼差しで見上げている。
藤田が精魂を傾けた、自らの死に場所としての礼拝堂。そこに描かれた自画像が、藤田最後の自画像となった。

 (第五章 「美の国」へ)


赤い衣装の日本人形の謎

◆近藤のこの本は最後にひとつの謎を記して終わっている。

藤田の生涯を書き終えようとしている今も心に引っかかっているのは、ヴィリエ・ル・バクルで何とも解釈のしがたい藤田の遺品に出会ったことである。
それは、アトリエにあった藤田の膨大な遺品をまとめて保管する古びた倉庫に埋もれていた。倉庫では県の担当者が遺品の整理にあたっていたが、資料的価値が不明だとして未整理のまま箱詰めにされた品々が倉庫の片隅に積まれていた。
私は担当者に頼み込んでその箱を開けさせてもらうことにした。その箱を片端から調べている途中で、古びた日本人形があらわれたのである。
その人形は体長二十センチほどの大きさで、素朴な童女の顔立ちをしていた。若いころから手もとにおいてきたものだろうか、赤い衣装は手垢にまみれ、すり切れてぼろぼろになっている。
その日本人形の胸には、フランス政府から授与されたレジオン・ドヌール勲章がしっかりと縫いつけられていた。


「赤い衣装の日本人形」自体は珍しいものではないだろうが、この人形の様子の描写から著者の心のうちには、藤田の最後の戦争画となった「サイパン島同胞臣節全うす」の画面中央に、埋もれるように描かれた人形を抱いた女性の姿がよぎっていたのではないかと想像する。

この絵は疎開していた神奈川県津久井郡小渕村藤野(現・相模原市緑区)で描いたものだ。
近藤は、軍にとって宣伝となるような題材ではないサイパン玉砕をあえて選んだ理由について〈庶民の悲劇を題材に選んだ藤田の胸には、出征していく藤野の青年達の姿がよぎったような気がしてならない〉と記す。

こちらで勝手な想像を広げるなら、藤田の遺品の中にあった日本人形は、あの地獄絵図というべき「サイパン島同胞臣節全うす」の中央に描かれた人形なのではないか?
死に行く人々ばかりの中に埋もれるようになりながら凝然と何ものかを見つめている若い女が抱いている人形は、人間の形代(かたしろ)=身代わりであるゆえに、女の方は、凄惨・酸鼻の犠牲の先になおも生き抜かねばならない者として唯一異質の描かれ方をしているのではないだろうか?


藤田嗣治サイパン〜人形を抱く女02-A.jpg

「サイパン島同胞臣節全うす」 (部分)
画面中央に人形を抱いて坐る女


【当ブログの関連記事】
藤田嗣治「サイパン島同胞臣節全うす」 [2018年10月14日]
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1016

近藤史人「藤田嗣治」.jpg
講談社、2002年

*君代夫人はこの本が出た後の2009年に逝去。
フジタ夫妻は平和の聖母礼拝堂に眠って居る、という。

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