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清岡卓行「駅名あそび」[2018年10月12日(Fri)]

◆清岡卓行の小説に『マロニエの花が言った』という大著がある。
両大戦間のパリを舞台に画家の岡鹿之助(清岡の著作を飾ってもいる)や藤田嗣治、マン・レイ、詩人の金子光晴らが登場する。
先日、上野で藤田嗣治の他の面を知ったばかりでその印象をまとめないうちに小説に引っ張られるのもどうかと思って、序章のみに留めて置こうと開いてみたら、ジョセフィン・ベーカー(スペイン人の父と黒人の母のもとアメリカに生まれたシャンソン歌手)の名前が出て来たりして、たちまち本を閉じた。

代わりにこの数日パラパラ気ままにひもといていた「全詩集」(思潮社の1985年版。これとは別に定本全詩集が清岡没後の2008年に出ている様子だが未見)から、肩肘の張らない佳篇をひとつ。

駅名あそび   清岡 卓行

書物が奇態な生きもののように
しだいに乱雑に増殖してくる
狭苦しく 狂おしい 物書き部屋には
西と北に 大きな窓がある。
朝も昼もやや暗いが ときに
夕日の奔流が花やかな明るさで
わたしの疲労をすっぽりつつむ。
あと一枚 原稿を書くための
なけなしの 新しい元気を
胸に芽生えさせるのである。
こんな時間が
わたしは好きだ。

やがて トコトコ
幼い子が階段を登ってくる。
ドアのノブをぎごちなく廻し
「ごはんですよ!」
と 部屋のなかにはいってくる。
椅子に坐るわたしの膝に乗り
机のうえの書きかけの原稿を
小学一年生ふうに 拾い読みする。
わたしはそこで 問題を出すのだ。
「東京のなかを走っている電車の駅の名前で
ね 一とか三とか数がはいっているのがある
でしょう? 一から十までの数がひとつずつ
はいるように 駅の名前を十いってごらん」
電車に夢中の息子は すごく喜び
ゆっくり考えて さっと答える。

「青山一丁目!」
そうだ 先週もわたしはその駅で降り
知人の死を悼むため斎場に向かった。
「二子玉川園!」
十六歳のわたしが 受験のため大連から
初めて東京に出て来て泊った 叔母の家。
「三軒茶屋!」
二十六歳のわたしが 敗戦で大連から
東京に引き揚げて来て泊った 姉の家。
「四ツ谷!」
おまえの兄が いっぱし通っている
フランス人の先生の多い あの大学。
「五反田!」
わたしが通勤のため かつて何千回か
電車乗り換えで歩いた あの連絡通路。
「六本木!」
おまえのもう一人の兄が ときたま
お茶と踊りに その町に行っている。

幼い子は七のところで 大いに困り
頭を左右にかしげて 考えつづける。
ああ こんな時間が
わたしは好きだ。
「東京のなかでなくてもいいよ」
と わたしは問題をゆるめる。

「七里ケ浜!」
おまえは幼稚園を終えた 春休みに
母に連れられて その海岸で遊んだ。
「八坂!」
おまえの生まれた産院が その町にあり
どんな建物か おまえは見たがっている。
「九段下!」
おまえの父母は結婚前 その駅で降り
ウィーン・フィルハーモニーを聞いた。
「十条!」
敗戦の前の年の初夏 学生のわたしが
校友会雑誌の校正をした あの印刷所。

「ごはんですよ!」
一家の主婦の権威の声が
階下からおおきくひびいてくる。
幼い子を先にして
まだ西日が残っている階段を
二人で あわてて降りて行く。
こんな時間が
わたしは好きだ。


*『幼い夢と』(河出書房新社、1982年)所収。
テキストは『清岡卓行全詩集』(思潮社、1985年)によった。



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