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前川喜平・著「面従腹背」[2018年09月14日(Fri)]

DSCN8326.JPG
木槿(むくげ)。
夏に長く咲き続けている印象があるが、一つ一つの花の寿命は1日〜3日程度らしい。次々と新たな花が咲き継いでいくもののようだ。

*******

前川喜平・著「面従腹背」より

◆前川喜平・前文部科学事務次官が上梓した「面従腹背」が店頭に出ていた。
手に取ったのは発売後1ケ月を経た7月末のもので、すでに第4刷。

★開巻劈頭、自由な精神を持つ独立した個人であることの大切さ、
日本国憲法が至高の価値として柱に据える「個人の尊厳」について説く。(下線は当方)

個人としてどのような見解を持つかは自由だ。それはあまりにも当然のことなのだが、実際には組織の中で仕事をするうちに、その組織の論理に完全に同化していく人間が出てきてしまう。本人は自分個人の意見だと思っているのかもしれないが、実はそれは組織の方針を自分の意見として丸ごと受け入れているだけだということが多い。その方が楽なのだ。与えられた職務と自らの内心との葛藤を経験せずに済むからだ。人間は無意識のうちに、楽な選択、得な選択をして、それを正しい選択だと考えようとする性(さが)を持っている。しかも、組織の論理は、組織の正当性を説明するため、よく練られており、いかなる批判に対してももっともらしい反論を備えていることが多いから、組織の論理を修得してそれを繰り返していれば、十分そこに安住できる。いわば「正当性のシェルター」のようなものなのだ。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、ということだ。
個人の見解が常に組織の方針と一致するなどということはあり得ない。常に一致しているとすれば、それは実のところ個人の見解が存在しないということだ。


◆政治家や公務員に限らない。会社組織、NPOや仲間と取り組む市民運動にも通じる話であろう。
あるいは一人の市民として、地域社会や国家と対する自分の立ち位置を確認する上でも。

次のようにも述べている。同じく「はじめに」から。

一人ひとりは尊厳ある個人である。自由な精神を持つ人間である。自由な精神を蔑(ないがし)ろにすることはできない。

★著書発売に合わせて開かれた講演「面従腹背さようなら。」がYouTubeで公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=0snBpUqTS3c



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