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朝日の社説から(1)「道徳」の「評価」[2018年08月28日(Tue)]

DSCN8168-A.jpg

先日の横浜西区、願成寺の近くで発見したミニシアター。
壁面ぐるりに洋画・邦画のスターたちが並んで、なかなかの壮観。
相鉄線の西横浜、京浜急行の戸部駅からいずれも歩いて10分ほどのところ。

DSCN8170-A.jpg

*******

◆朝日新聞の社説、二日続けて教育問題を取り上げた。
昨日、8月27日は「子ども哲学 対話が未来をひらく」というもの。
子どもたちが自ら問いを立てて自由に語り合う「哲学対話」の試みを紹介している。
NPOメンバーとして普及に取り組む河野哲也氏(立教大)が参加者に語りかけることばが新鮮だ。

《友達の話にゆっくり耳を傾けよう。自分の言葉で自由に語ろう。批判は大いに結構。でも人格攻撃はいけない。勝ち負けを競う場ではないから、人の話を聞き、自分の意見を変えるのもステキなことだよ――。》

人の意見に耳を傾け、自分の意見を柔軟に変えるしなやかさを持つ――ブレることはいけない、と信じ込んでいる大人には意表を突く言い方だ。だが、「君子は豹変す」という言葉も、過ちがあればすみやかにそれを改める、という良い意味であることを思い起こせば、心を柔らかに働かせることの大切さは分かっていても実行は難しい、と昔の人もよく知っていたわけだろう。

◆この27日掲載の社説には、1箇所、誤解に基づく記述があった。

心配もある。哲学対話は道徳の授業にとり入れられるなどしてすそ野を広げてきた。その道徳が正規の教科になり、定められた学習指導要領に基づいて教え、子どもに点数をつけ、子どもを評価しなければならなくなった。
やり方を間違えると、せっかくの対話が、教師が考える規範や価値観に子どもを誘導するための道具になりかねない。

  *下線・色字による強調、当方(以下も同じ)。

早速読者の指摘があったはずで、Web版では上の赤字部分を削除した形でアップされている。
翌28日の朝刊(手もとにあるのは13版でその30ページの社会面)に次のような訂正が載った。

▼27日付オピニオン面の社説「子ども哲学」で、道徳が教科化されることに伴い、「子どもに点数をつけ、評価しなければならなくなった」とあるのは「子どもを評価しなければならなくなった」の誤りでした。学習指導要領には「数値などによる評価は行わないものとする」と書かれていました。

◆「評価」って結局「点数をつけること」でしょ?という思い込みが、社説を書いた委員にも、デスクにもあったことを物語る。
 
★【朝日新聞 8月27日社説】子ども哲学 対話が未来をひらく
https://www.asahi.com/articles/DA3S13652296.html

◆道徳が「教科」になったことの意味は、(1)教科書を使うこと、および (2)評価をすること、この二つにあると言われてきた。ともに問題点大アリで、道徳の教科化に反対する声があがったのも当然であった。

このうち、「評価」について、新学習指導要領(小中とも2017[平成29]年3月に改訂)は一番最後に次のように記す。

生徒の学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し,指導に生かすよう努める必要がある。ただし,数値などによる評価は行わないものとする

*文科省のサイトの「学習指導要領」道徳編、p.158を参照
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1384661_5_4.pdf

間もなく出た学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(2017=H29年7月。以下「解説」と略記)には、この項について、細かな説明を加えている。
たとえば――

これは,道徳科の評価を行わないとしているのではない。道徳科において養うべき道徳性は,児童の人格全体に関わるものであり,数値などによって不用意に評価してはならないことを特に明記したものである。


◆ところが、である。
現在各地で採択が進められている中学の検定済み「道徳教科書」では、児童生徒自身によるA〜Eなどの段階別自己評価表(振り返りシート)を付けた教科書が現れた。
「学習指導要領」には上掲の通り、わざわざ「数値などによって」と断ってあるにもかかわらず、だ。
「など」の中に「A、B、C」も「よくできた、まあまあできた、あまりできなかった、ほとんどできなかった」なども含まれると考えるのが自然だろう。

教科書会社としては、教員が行う評価ではなく、子どもたちが自分で行う「評価」だから問題ない、という言い訳を用意して検定に臨んだと想像するが、サイテーの大人たちである。
子どもたちが「できた・できなかった」のモノサシで我が身を量り売りする危険への慮りを欠いているからだ。不幸にしてこのモノサシ以外知らない子どもたちは、大人に気に入られることにエネルギーの大半を費やすだろう。

「解説」では一応、次のようにクギを刺している。

道徳性の諸様相である道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度のそれぞれについて分節し,学習状況を分析的に捉える観点別評価を通じて見取ろうとすることは,生徒の人格そのものに働きかけ,道徳性を養うことを目標とする道徳科の評価としては妥当ではない。
*「解説」小学校版のp.109〜110(「解説」中学校版ではp.111〜112)

要するに、[ 自主,自律,自由と責任] 、[節度,節制]以下、[感動,畏敬の念]、[よりよく生きる喜び]に至る22の「道徳的価値」それぞれについて、「できた・できなかった」と評価するのはヨロシクない、と言っているわけだ。
(22の「道徳的価値」は、小・中で表現の違いがあるが、大半がかつての「修身」が掲げた徳目と呼ぶべきもの。「国を愛する態度」も当然のことのように含まれている)

◆「解説」には次のような説明もある。

(道徳における「評価」は)児童がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め,励ます視点から行うものであり,個人内評価であるとの趣旨がより強く要請されるものである。これらを踏まえると,道徳科の評価は,選抜に当たり客観性・公平性が求められる入学者選抜とはなじまないものであり,このため,道徳科の評価は調査書には記載せず,入学者選抜の合否判定に活用することのないようにする必要がある

「個人内評価」とは、他の子と比較するのではなく、(個々の)「子どもたちの成長を積極的に受け止めて認め、励ます」ことで、したがって記述式で行うことが求められる、と解説は述べる。
それでもわかりにくさがつきまとう。
新しい「学習指導要領」の周知を図ると文科省は言うが、保護者やふつうの人たちに理解できるとは思えない。そもそも「解説」を一般の人が読むことはほとんどあるまい。
したがって、朝日の社説執筆者のように「評価」=点数を付けること、と考える人が大多数、という状態がこの先も続くだろう。

◆「数値などによる評価は行わない」という言い方が不充分だという認識は中教審にも文科省側にもないようだ。道徳において「評価」することの愚かさと危うさを敢えて考えないようにしている、としか思えない。
たとえば「評価」という用語を児童生徒の振り返りにも教師の振り返りにも同様に使って怪しまないところにもそれは表れている。
「解説」では第5章《道徳科の評価》は次のような3つの節から成っている。

第1節 道徳科における評価の意義
第2節 道徳科における児童(生徒)の学習状況及び成長の様子についての評価
第3節 道徳科の授業に対する評価

第2節では、児童・生徒が行う学習活動として自己評価の他に《相互評価》を推奨している。
また、《校長や教頭などの授業参加や他の教師との協力的な指導,保護者や地域の人々,各分野の専門家等の授業参加などに際して,学級担任以外からの児童の学習状況や道徳性に係る成長の様子について意見や所感を得るなどして,学級担任が児童を多面的・多角的に評価したり,教師自身の評価に関わる力量を高めたりすることも大切である。》という記述もある。複数の目で見るのは良いことではないかと言われよう。しかし、それはあくまでも大人の視点であって、子どもたちの身になれば、たまらんナ、という感じがぬぐえない。
《相互評価》とは、お互いの良いところを言ってあげよう、という趣旨のはずだが、いつそれが否定的評価に転じるか予測はつかない。「面従腹背」も「慇懃無礼」も大人の専売特許ではなく、子どもたちの世界でも、うわべだけ静穏、紳士的、友好的…ということはいくらでもある。

学校の中であれ地域であれ、「ほっといて欲しい」と心底思うことだってしばしばあるはずなのに、「道徳」の呪縛がアマノジャクを許さないようでは息苦しくてたまらない。

◆「道徳」教科書の検定を行った文科省側はどうか?
子どもたちの段階別自己評価表を載せた教科書、感心しないが容認した、ということを意味するだろう。「妥当ではない」と言うのは建前で、本音は違う、ということなら、文科省もまたサイテーである。
二枚舌であるばかりか、責任を子どもたちに押しつけている点で、下劣ですらある。

◆中教審の教育課程部会では目下「児童生徒の学習評価に関するワーキンググループ」が審議を重ねており、年内のとりまとめを目指しているが、先日、委員の一人から、道徳の「評価」は数値や段階による評価をするものではないことを改めて確認する発言があった。
「道徳」教科書の実物を見た委員として、危惧が現実のものとなりつつあることを憂慮した発言であることは明らかだったが、発言者はそれ以上の具体的な指摘を避けた。
それを良いことに文科省事務局からも発言主旨の確認などもなかった。

そもそも、子どもたちの伸びやかな成長を願う役所であるなら、段階評価=数値評価を促すような教科書をパスさせてはならなかったのである。

亀裂だらけの泥舟だと知りながら、もう下船できない。
文科省という傾いだ泥舟がどこに沈没しようと一向に構わないが、「道徳」というのが実は紙の舟で、そこに乗っている子どもたちを、大人たちは陸から見物しているだけだとすれば、何としよう?

*******

★【小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編】下記から閲覧・ダウンロードできる。
「評価」についてはp.107~116に記載。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387017_12_4.pdf

★【中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編】も下記から閲覧・ダウンロードできる。
ただし、内容・章立て等は小・中ほぼ共通で、「評価」についてはp.109~118に全く同文で記載。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387018_11_4.pdf


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