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流政之の彫刻[2018年07月16日(Mon)]

流政之の彫刻

◆横浜市西区紅葉ケ丘の神奈川県立青少年センター前に石の彫刻が立っている。
流政之(ながれまさゆき。1923〜)の「潮 TIDE」という1962年の作品だ。

DSCN7545-A.jpg

人の背丈ほどの高さにメッセージが彫られているのが珍しく、近づいて見た。

DSCN7546-A.jpg

「しっかり頼む」という言い方は、現代の大人たちの口からは出てこない。

流政之の公式サイトのプロフィールで確認すると、1962年、この青少年センターのために〈潮〉〈波〉〈舷〉の3つを制作したようである。
いずれ、〈波〉〈舷〉にも会う機会があるだろう。

★流政之オフィシャル・ウェブサイト
http://www.nagaremasayuki.com/flash/index.html

◆父は立命館創設者の中川小十郎。
教育者である父は、子にとって格闘の対象であったのだろう。
結果として息子は、のたうつような規格外の生き方をして来たように見える。
青春期の過剰なエネルギーを自ら持て余していたことを伺わせる記事が目に付く。

1941〜42年の項に次のような記述がある。

学業の才あまりかんばしからず立命館大学にこっそり入学。しかしここでも学校になじむことなく、勝手に乱学そのうち立命館日本刀鍛錬所に出入りし…授業をさぼって作刀、研ぎに夢中……

1943〜45年には――

日本危うしと海軍飛行予科予備学生、操縦専修となりゼロ戦パイロットになる。

1944年――

10月7日、敗戦をみることなく死んだ父にさすがと、雪降る父の墓石に雪をかためて投げつける。

◆敗戦後も鎮魂と検証の旅に身を投じて各地を放浪する。
彷徨の青春期を経て最初の彫刻展を開いたのは32歳である。

◆流が「潮」を制作した1962年は、四国の庵治村(のち庵治町。2006年、高松市に編入。庵治石で知られる。)の職人たちと「石匠塾」をつくり、石を素材とした作品制作に本腰を入れた時期である。

岩の間から水が奔騰して噴き上げる姿にも見えるが、逆に空から大地に降ろされた巨人の脚と膝の関節のようにも見える。

DSCN7550-A.jpg

〈潮〉は紅葉坂を登り切ったところにある。ここから海のある東方に目を遣ると、ランドマークタワーが見える。



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