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ナショナリズムはレッテル貼りと押しつけを好む[2018年06月29日(Fri)]

DSCN7397.JPG
ヒルガオ。

関東地方に梅雨明け宣言。6月中の梅雨明けは観測史上初めてとか。

その朝の相棒との散歩の帰り、わが家から50メートルほどの交差点で霧雨に見舞われた。
散水している人も居なさそうだが、と見上げると、一刷毛ほどの薄雲が頭上をよぎるところだった。
天のシャワーを浴びたのはたぶん50メートル四方だけ。

お天気雨は吉兆ということになっているが、仮に凶事(まがごと)に出くわしたとしても、その時に「そう言えば」と振り返る余裕が残されているのは自分が幸いに生き延びた時であるから、お天気雨はやっぱり吉事(よごと)だったのだ、と思えば足りる。

*******

◆映画「英国王のスピーチ」の中に、ジョージ・オーウェルの名前がイギリスBBC放送との関係でチラっと出てくる。
第二次大戦の頃、彼はBBC東洋部で、東南アジア向け宣伝番組の制作に従事していた。

同じころ、鶴見俊輔はジャカルタの海軍武官府で連合国のラジオ放送を聴いて情勢をまとめる仕事に従事しており、しばしばジョージ・オーウェルの放送に聴き入ったと回想している(日米開戦後、交換船で日本と運命をともにしようと帰国した鶴見だが、帰国後すぐに徴兵検査を受けたものの、直ちに応召することになるとは全く考えていなかった由)。

そのオーウェルの「ナショナリズムについて」(1945年)から――

「ナショナリズム」というときわたしがまっさきに考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。だがその次に考えるのは――そしてこのほうがはるかに重要なのだが――自分を一つの国家あるいはこれに似たなんらかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外にはいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念がひそんでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。ところがナショナリズムのほうは権力志向とかたく結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。

*下線部、原文は傍点による強調。
『オーウェル評論集』より(小野寺健・編訳。岩波文庫、1982年)


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