「夢の裂け目」にクラクラする[2018年06月24日(Sun)]
初台、新国立劇場前の石組み
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音楽劇「夢の裂け目」の歌
今月は井上ひさしの芝居を2本観られたわけだが、新国立の「夢の裂け目」は、クルト・ヴァイルの音楽に井上が詞を付けた歌がふんだんに登場し、かの「ひょっこりひょうたん島」の世界を思い出しながら敗戦後、東京裁判進行中の日本を見せられる感じがある(音楽を担った宇野誠一郎の曲も使われている)。
第二幕六場では、『学問ソング』という歌が成田耕吉=上山と道子=唯月ふうかによって歌われる。
上山は紙芝居の貸元「民主天声会」に紙芝居の駄菓子や自転車などいろんなものを調達してくれる闇屋だが、実は大学で国際法を教えていたこともあるインテリである。
道子は女学校を卒業したばかり。耕吉が開示する世界と学問の関わりに好奇心をかき立てられ、二人の重唱へと進む。
学問 それはなにか
人間のすることを
おもてだけ見ないで
骨組み さがすこと
人間 それはなにか
その骨組みを
研き 研いて
次のひとに渡すこと
◆人間世界を見て考えること、その考えたことを未来に受け渡す意義を、平易な言葉でセリフにし、歌に乗せた。
大事な「骨組み」の一つには憲法(constitution)も含まれるだろう。
「夢の裂け目」は1946年の夏、東京裁判に証人として出廷する紙芝居屋の話だが、裁判進行と同時に帝国議会では新憲法案が審議されつつあった。
「夢の裂け目」に始まる井上ひさしのいわゆる東京裁判三部作は、いずれも9人の登場人物によって演じられる。「九条の会」呼びかけ人の一人でもあった井上らしい凝り方である。
今回のプログラムに寄せた加藤典洋のエッセイ「裂け目から泪が流れて痂(かさぶた)になること」によると、九人の人物たちは基本の人間関係も同型につくられており、役者は「夢の裂け目」「夢の泪」「夢の痂」の三部作を通して演じられるようにつくられている、という。
すなわち、同じ役者さんたちが三部作を連続して上演するということも可能だというのだ。
実際、2010年4〜6月の新国立劇場では、ほぼ同じ出演者により連続上演されたという。
演じる役者さんたちは頭の中がクラクラする日々であったことだろう。
(この時、「夢の裂け目」が始まったばかりの4月9日に井上ひさしは亡くなったのであった。)
◆フツーの人々の戦争責任というテーマを掘り下げて、否も応もなく天皇制にぶつかることになる。「有り」・「無し」のどちらかに立てば事が終わるという単純な話ではない。
ましてや、誰かに責任を押しつけて終わり、にはならない。
芝居はいったん幕を閉じても、観た者は手渡されたものの確かな重さを感じながら帰路につく。
*「夢の裂け目」はこのあと、6月27・28日、兵庫県立芸術文化センターでの公演がある。