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しろがねのボタン電池惜し[2018年06月11日(Mon)]

DSCN7367.JPG

田植えが済んだばかりの田んぼにカルガモ

*******

ボタン電池惜し

◆落としたボタン電池が変わり果てた姿になって見つかった。

数日前、路傍に停めた自転車が荷のバランス悪く倒れた。
その拍子に尾灯のカバーが外れたのではめ直して帰宅した。
電池が無いことに気づいたのは二日ほどした夜だ。
尾灯には充電式のボタン電池が入っていて、日中、太陽光で充電し、夜乗るときに振動で点るようになっているのにウンでもスンでもない。

雨が上がった翌々日、自転車がコケた場所に探しに行ったら、砂利の間にすぐ見つかった。
ただ、通行の車に何度も踏みつけられたのだろう、すっかりへこんでしまっており、サビも出始めていた。

森鷗外ではないが、「しろがねの ぼたん電池 惜し」という心境である。

扣鈕    森 鷗外

南山(なんざん)の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

  (第1連。「うた日記」より)

鷗外が若き日にベルリンで買い求めた「こがねのぼたん」を日露戦争に従軍した折に落としたというもの。
思い出の品であるボタンへの哀惜を歌ったものとして知られる。
第5連では次のように歌ってさえいるのだ。

ますらをの 玉と碎けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕


「ももちたり(百千人)」、すなわち戦場で仆(たお)れた多くの兵士たちのことも「惜し」=無念だが、若き日の思い出も同様にかけがえがないゆえ「惜し」なのだと言う。

◆自転車のボタン電池はむろん青春の記念などではない。
当方のは物惜しみする性分ゆえの未練の対象物以上のものではない。
ただ、いささか後を引くようであるのは、自転車がコケそうだな、という予感があったのに、それを食い止めるべく身体が機敏に反応できなかったナ、という気分が残っているからである。

◆その余波ということでもないが、本日も同様の失敗をやらかした。
買い物の釣り銭を財布に戻そうとして手もとが狂い小銭一枚を落としてしまった。
10円か50円か100円玉か分からないが、落ちた音からして1円玉でなかったことは確か。
サッカー台の足もとを探すが見あたらない。膝をつき、台のキャスターを動かしてウラも探すがダメ。幸い他の客が来る気配はなかった。見る角度を変え何度か探したが、結局見つからず。

この時も、手にした小銭を落としそうだナ、という予感はあった。
未然に防ぐ動作に移行すべきなのに、落としている我が姿のスローモーションを、身体が反応しないもう一人の自分が眺めているような感覚、と言おうか。

◆帰る道々介護本で知った文句がいくつも浮かぶ。
いわく「手の巧緻性の低下」、いわく「QOL(生活の質)の維持」などなどなど。

それにしても電池1ケや小銭1枚に未練たらたらの我が器量の小ささ狭さよ。

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