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李禹煥の詩 その2[2018年05月26日(Sat)]

◆李禹煥(リ・ウーハン)には「私」と「世界」との関係を歌った次の詩がある。

山と私   李禹煥

私は山を見る
山は私を見る

いつしか山に私を見
私に山が膨らむ

そこにある山と
私が見た山が
同じでないように

ここにいる私と
山が見た私も
ズレているに違いない

しかし私と山は
互いに見ることの
空間のなかにいる

空間の幅のなかで
私と山は交わり
拒み合いながら
更に私になり
更に山になる

いつしか山は山に帰り
私は私に帰る

山は私を見ない
私は山を見ない


◆垂直方向と水平方向に加えて、山と私の間にある奥行きが表現されている。
彼の平面作品においても立体作品と同じように、見る者がその世界の中に入って歩きまわることになる――そうした事情が詩によってはっきり分かる。
それは作者の想念を追体験することであると同時に、私たちと作者とが「交わり/拒み合いながら/更に私にな」ることでもある。

◆李禹煥は「散歩a」という詩で「散歩に出ると僕は盲目になる」「頭は見えない空を飛ぶ」「想念の羽で飛ぶ空は内面空間なのでそこに目はいらない。」とも書いている。

その目が開いたときに「はじめて世界と出会う」
想念から認識へと歩み出るのだ。

そのとき世界はどのように見えるのか。
詩集『立ちどまって』の最後に置かれた次の詩が、これ以上ない簡明さで顕現している。

山と海

私は見た
山が海になり
海が山になるのを

その時
私は静かに
目を閉じていた

目を開くと
山は山になり
海は海になり

◆想念の世界では「山が海になり/海が山になる」。
そのあとに見開いた目には、山はいよいよ山として、海はますます海として立ち現れてくる、ということだろう。

*香川県直島に「李禹煥美術館」が出来ていると知った。
http://benesse-artsite.jp/art/lee-ufan.html



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