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宮崎進氏逝く[2018年05月21日(Mon)]

宮崎進氏逝く

宮崎進[五月の空]2002A.jpg
宮崎進「五月の空」2002年(321×247cm。麻布・綿布・胡粉・合板ほか)
「宮崎進展 よろこびの歌を唄いたい」図録より。撮影・安斎重男


◆美術家・宮崎進(しん・すすむ)氏が亡くなった。享年96。

シベリア抑留の体験を1990年頃から公表し、抑留中でも入手しやすかった麻布袋(ドンゴロス)を素材にした作品で知られる。

応召したのは1942年、東京美術学校を繰り上げ卒業しての入隊であった。
1945年の敗戦は満州で迎え、バム鉄道(バイカル・アムール幹線鉄道)建設のためのコムソモリスク収容所を皮切りに各地の収容所を転々とした。
絵描きの腕を重用された結果、同胞よりさらに1年遅れて1949年にようやく帰国した。

◆つい先日、横浜美術館コレクション展(企画展の「ヌード」とともに6月24日まで同時展覧中)で、彼の作品を二つ見て来たばかりだった。

一つは麻布袋で造形した頭部に石膏を流し、鉄板の上に載せた「沈黙」(2001年)。

宮崎進「沈黙」2001横浜美術館-A.jpg

これは2002年に同じ横浜美術館で《宮崎進展 よろこびの歌を唄いたい》が開かれた時に対面している。上の写真はその時の図録表紙を飾ったもの(安斎重男撮影)。

1メートル余りの大きさのこの作品には、原型と呼ぶべき同じ題の小さな石膏像があった。

宮崎進「沈黙」1960頃-A.jpg
「沈黙」1960年ころ(撮影・安斎重男)。石膏に油絵具と蜜蝋。

◆2002年の展覧会では新たに制作された大きな立体作品があちこちに展示され、迫力があった。
当時、80歳。噴出するようなエネルギーに圧倒された。

◆シベリア抑留を体験した画家というと、同じ山口県の香月泰男(1911-74)がおり、宮崎と親交もあったのだが、作品の印象はずいぶん違う。
10以上年上である香月の「シベリア・シリーズ」に促されるように思いつつも、宮崎自身にとってのシベリア抑留が形を成して行くには相応の時間が必要だったように思える。

宮崎進の美校での専攻は油画であった。「壁(忘れえぬ人)」など鎮魂の思いをこめた作品には頭部のみが描かれている。彼らと対話し忘れまいと誓うのだ。

宮崎進[壁](忘れえぬ人)1993年.jpg
「壁(忘れえぬ人)」1993年(263×206cm)

しかしそれ以上にトルソー(胴体の彫像)が多いことに気づく。悼むことのあとに向かうのは、やせさらばえた体があたたかみを回復して生きて行く時間と、その肉体が確かに存在している空間を表現することであっただろう。

冒頭の「沈黙」が白い石膏をまぶされて地上に在る様は、ジャガイモが豊饒な実りをもたらす、その最初の一個ではないのか、と思えてくる。
この「沈黙」する子どもは、発現と成長を約束された眠りの中にいま在るのだ。

*******

◆宮崎進は1974年以降、鎌倉にアトリエを移して制作を続けた。
そのころの油絵から一枚。

宮崎進[ランドスケープ]1974-76-A.jpg
「ランドスケープ」(1974-76)
 『宮崎進画集 1953-1986』より(求龍堂、1986年)

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★参考記事【香月泰男のシベリア】[2016年12月31日]
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/398

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