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「夜明けの青いまどろみ」[2018年05月12日(Sat)]

DSCN6728ツルニチニチソウC.jpg
 ツルニチニチソウ(蔓日日草)

*******

「湯ぶねの中の 童謡の死」  谷 敬

水が間断なくあふれ
ながれに沿って光線がすべっていき
熱い母体をひたしながら湯気をあげているあたり
さっきから白いタイルにしぶきをあげて
声が生まれおちようとしている
対流する倦怠にふかく射しこんでいく夢のように
湯けむりを切り裂いてとびたっていく
バネをもつ短い童謡の一節

それは単純にくり返されている
たったひとつの覚えたばかりの小鳥の名前
とどまるところを知らぬシャボン玉のように
世界をかわいい泡だらけにしている
ここ 東京下町の
六月の夜の 銭湯
やっと誕生を過ぎた子どもがひとり
さっきから湯ぶねのふちで 歌いっぱなしだ
よくたわめられたふたつの小節しかない
バネのような童謡
アンポ と呼び
すぐさま ハンタイ と返してくる
はねまわるふたつの発音の
朝のクレヨンのようなリズムの
際限のない音のくり返し

その歌はいっせいに裸の視線を浴びている
足もとでよじって捨てている男もいる
父親は恥じらい
シャボンばかりをかきたてている
ときどき 指導者のようにあわてふためき
サンセイ と水をまぜている
伴奏のように 子どもの口もとに
注意深くまぜ合わす
知らなかった街角から 公衆浴場へ
汲み上げてきた突拍子もない童謡に
たじたじとなって弁解している

よく泡だっていた金曜の街路を
太った五指にひらめかせている中年男
ダンボールにつめた指先をとりもどすため
湯気をかきまぜている瘠せた背骨
濡らすだけ濡らして 今日の始末をつけようとしている少年
似かよった一日の垢を
湯ぶねに浮かせて眠る人たち
裸になっていながら
裸の発音を知らない たくさんの男たち
遅れがちにゆらゆらつづく履歴書のような
湯ぶねにタオルをひろげ
残り少ない時間を広げる
汗ばんだ壁板に軽い散弾がはじけていく
裸の視線と
桶に伏せられた政治をつぎつぎ裏がえしていく
プラスチック製の 二小節の弾丸

(ひとつの始まり)
上気した青年が 笑って声を受けとめる
(ひとつの終わり)
老人は不機嫌に湯をかぶっている
(すべての終わりだ)
はるばる抱えてきた国家が もうメチャクチャだ
湯気をへだてた父親を するどくなじっている
(ひとつの始まり)
若者は街路へ出ようとおもう
塀沿いに声をおしあげていく あの隊列
坂の上まできらめく夏の日
(ひとつの終わり)
堅牢な荷造りや海をこえていく契約書の溺死
(ほんとうに始まりそう)
いまわしい昨日から
息づく曲線へ
夜明けの青いまどろみのほうへ分けていく
熱い肉体のような
連帯の始まり

年老いた父親たちの内部には
旗を振っていた日本が うず高く積まれている
それらの非難の手が とうとう
子どもの声を眠らせてしまった
重い湯ぶねの中で
花輪のように抱かれた子どもの頰に
やがて野を突っ走る直線を感じている 心配そうな父親たち
アンポと呼び ハンタイと返すほかない
散弾を浴びた 裸の人たち
肉体の恥じらいから 生活の恥じらいへ
国の終りから
政治の季節の ひとつの歌の始め

いくらこすっても祖国の地肌をもたぬ青年の肉体を
にがにがしい父親たちからより分けていった
純粋な ふたつの小節
湯ぶねにせめぐとがった波立ちのへりで
生れおちた声をつなげていく者たちよ
熱い母体をさがし そこから歩きはじめていく
バネをもつ童謡を 陽ざしの中に支え
湯あがりの風吹く丘へ
おびただしいワイシャツの旗風の中へ
童謡の痛さを捧げていく
数少ない人たち

思想の恥じらいをとりもどしていく
ひとにぎりの人の手のひらと釣り合っている
ひとつの 純粋すぎる童謡の死

 『谷 敬 詩集』(土曜美術出版販売、2003年)

◆詩人・谷敬(たにけい 1932-2000)の名は、三木卓の回想記「わが青春の詩人たち」(岩波書店、2002年)で知った。

東京浅草に生まれ、1945年3月10日の東京大空襲に遭い、高校時代に肺結核に罹り長い闘病生活の中で俳句と詩を書き始めた人。
詩人としての活躍と父が営んだ玩具卸業とを並行して続けた。
(74年にはオイルショックの影響もあって玩具卸業の倒産という辛酸もなめている。「契約書の溺死」といった表現に実際に経験したであろう苦労が表現されている)

◆詩にある「アンポ/ハンタイ」は60年安保反対のコールである。
銭湯で幼児のこの「童謡」が繰り返し公衆浴場に響く。
客たちがその声に目を向ける。父親は頑是無いわが子の「歌」にときどきあわてふためくようにして「サンセイ」と混ぜ合わせる。

だが、幼子が繰り返す二小節の「童謡」は、伏せた湯桶の下に閉じ込めて人々が見ないようにしていた「政治」を一人ひとりに意識させずにいない。
(ひとつの始まり)と(ひとつの終わり)は、人それぞれのプラス反応とマイナス反応を表す。
意識させられて不機嫌な老人や、はるばる外地から生還したのに国の混乱・瓦解を改めて突きつけられたようで老親をなじっている息子……。
だが街のデモに加わろうと光の方に目を向ける若者の昂揚した気分ははっきりと連帯のうねりを予告している。その予感ゆえに「アンポ/ハンタイ」のコールは散弾(プラスチック製のおもちゃだ)となって銭湯の人々を撃つ。

「いくらこすっても祖国に地肌をもたぬ青年の肉体」とは、親たちのように素朴に「祖国」を信じそれに身命を捧げることはない新しい世代が登場していることを言うのだろう。同時に、かつて植民地として従属させられながら戦後は強権を持って国籍を奪われた人々をも含む。

「アンポ/ハンタイ」という「童謡の死」とは、無邪気な子ども時代が終わり、自立した大人に成長することを言う。
ではさて、その1960年から58年後のいま、私一個として、夜明けの青いまどろみから覚醒し、おとなになったと言えるだろうか?

駅頭で「改憲NO!」の署名を御願いするなかで老若さまざまな人たちの声も聞くことが出来た一日が、次への「ひとつの始まり」たりえたか、振り返ることになった。

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