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加古里子の科学絵本[2018年05月09日(Wed)]

DSCN6933.JPG
タチアオイ。梅雨のころの花と思っていたが、今年はやや早いようだ。

*******

『加古里子 絵本への道』(福音館書店、1999年)はインタビューを中心に絵本作家・加古里子の広範な仕事を紹介した本。終章にあたる第五章は「科学絵本の時代」。学生時代に化学を学んだ加古氏の本領発揮というべき仕事であり、代表作の「かわ」(1962年)や「海」(1969年)などが生まれるまでが語られている。こうした絵本に子ども時代に接したら人生も随分違ってくるだろう、と現代の子どもたちをうらやましくなる。
興味深かったのは、「地球」(1975年)を出す時に、1960年代に登場したプレートテクトニクス理論を竹内均氏に取材したという話だ。
最新の知見を絵本に取り込むには、多くの資料にあたる努力だけでなく、自分で検証し採用を決断するプロセスが欠かせない。科学の本は少なくとも十年はもたないといけない、という作者としての責任感が根底にある。その上で、当時は一つの仮説でしかなかった理論に焦点を当て、研究者の話を聴いたわけである。

*加古氏が「地球」の仕事を進めていた頃の1969年、プレートテクトニクス理論とマントル対流説を高1の地学で教わった記憶がある。最近の説だけれど、と前置きがあった上で、地学のF先生が紹介した(1969年)と記憶する。教科書には未だ載っていなかったのではなかったか。

◆いずれにせよ、新しいことを知るだけでなく、それを絵本の形にする時間とエネルギーはたいへんなものだ。会社で培った次のような経験則も述べている。

民間会社で研究者生活をしていた頃、我われの間では、何か新しいことを知るには二百時間が必要と言っていました。会社組織だと上の方針でこれを担当しろという命令があれば、それまでの自分の研究を全部変えねばなりません。しかしまったく新しいことには自信が持てないので、勉強するわけです。ある特定の分野での重要な文献の数は平均二十です。一つの文献を理解するのに十時間が必要とすると、合計二百時間。となると一月ではできません。二十の文献を拾いだすだけでも二、三か月はかかってしまう。二百時間学習説はもともとは研究室の若手が言ったことですけれど、絵本の分野でもそう違いはないように思います。


◆人生の後半の残余の時間でなしうることを計算して会社勤めを10年早く切り上げた加古さんらしい仕事量と必要な時間の見定め方だ。

情報へのアクセスが容易になった現代では状況に違いはあるだろう。しかし、人間が理解し、伝わりやすい形にするために必要な時間に大きな変化があるとは考えにくい。

にもかかわらず、現代人は最短時間かつ最小コストで結果を出すことを現代人は求められている。
いきおい表面的な理解のまま、見た目を整えた仕事で片付ける人が増えていないだろうか。
あらゆる分野で。


加古里子「からすのパンやさん」[2018年05月09日(Wed)]

加古里子「からすのパンやさん」のあとがきを読んで驚いた。
この絵本の誕生に大きな影響と示唆を与えたのはロシアのモイセーエフ舞踊団のレパートリーのひとつ、組曲「パルチザン」であるというのである。

へたな要約より、あとがきの文章を読み味わうにしくはない。
後半を採録する。

長途につかれ馬上に眠りながらの行進、索敵、斥候、待ちぶせ、銃撃戦、味方の負傷、突撃、勝利、そしてまた次の敵をもとめて広野にきえていくパルチザンの情景が、詩情豊かに息もつかせぬ民族舞踊でつづられた作品でした。わたしはそのみごとな内容に、芸術的な香気にうたいあげたすばらしい演出よりも、そこに登場する兵士・農民。労働者・老若男女の一人ひとりの人物描写が、こころにくいまでに人間的なふくらみとこまやかさで舞踊的にえがきつくされていることに、ひどく心をうたれました。
個々の生きた人物描写と全体への総合化の大事なことを、わたしはモイセーエフから学び、さて、からすの一羽一羽に試みてみたのがこの作品です。

  *下線、引用者

◆「個々の生きた人物描写」とは色メガネ、即ち類型のフィルターを通して人間を見るのではない、ということ。
子育てに追われてこがしてしまったパンや半焼きのパンをおやつにするからすの子どもは、「これはせかいじゅうでおとうさんしかやけない、めずらしいおやつパンなんだぞ」と他のからすたちに自慢する。親への全幅の信頼を外に向けて宣言したこの一言が一家を変える。
家族総出でパンづくりにとりかかるのだ。単に「ちからを合わせて」ではない。「みんなで考えて」なのである。

*先日、「NHKクローズアップ現代+」で「道徳」の授業を取り上げていた。
そのなかに「お母さんのせいきゅう書」という教材があった。ずいぶん前からの定番教材(元は「ブラッドレーの請求書」という話の由)で、家族愛、とりわけ親の無償の愛について学ぶというねらいのようだ。いかに「考える道徳」をめざそうとも、訓話臭がつきまとう学習では大人が求める価値観に沿った「良い子の意見」が多数派を占める。一人だけ違う意見を述べた男の子がグっと悔し涙を流す姿に胸がつぶれた。授業の中で教授者が受けとめて皆に考えさせることまではできなかったためである。授業後に担任教師は少年に寄り添いフォローを試みていたが、「道徳」を一つの価値に収斂させることの罪悪が露呈した場面であった。(大人の価値観の押しつけや多数派による否定がショックでなかったはずはなく、あの時間を少年は決して忘れないだろう。
むろん、彼はこの体験をも糧として他の誰でもない彼自身として成長していくはずだが、それはこちらの希望と期待であって、将来の何かを保証するものでは全くない。教科化した「道徳」の毒を教師たちはどこまで自覚しているのだろう?)

◆「からすのパンやさん」の子からすたちは多数派ではない。その意味でむしろ「お母さんのせいきゅう書」の授業でたった一人の意見を述べた少年に似ている。
少年との違いは、「これはせかいじゅうでおとうさんしかやけない、めずらしいおやつパンなんだぞ」と親への信頼を宣言したことが仲間に受け入れられ、周りを動かして行ったことだ。
そうしてそれに応えるためにパンやのお父さん・お母さんも子どもたちも一生懸命考え、せっせとパンづくりに邁進した。

◆こうして「個」が「全体への総合化」の契機を内包するものとして生き生きと表現される。
個別的であると同時に普遍を実現していること。それが「からすのパンやさん」の魅力だろう。
「あとがき」はつぎのように結ばれている。

どうかそんなわけですので、もう一度からすたちの表情をみて笑ってください。


絵本のからすたちをひとつひとつ見直して行く。

加古里子からすのパンやさん2_0001.jpg

評判を聞きつけてたしんぶんやテレビ局の取材からすが殺到する。
加古里子からすのパンやさん2_0002.jpg

おしあいへしあいのからすたちの一羽一羽を見よ。

◆パンやのおとうさんからすがお客さんに整列を呼びかける――
「すると、……」

この次のページに用意された転換が何とも可笑しいのである。
それを、ぜひともこの本を手にして味わってみてほしいのだ。

そうすれば、あの「お母さんのせいきゅう書」がなぜいけないのか、考える手がかりがつかめるはずである。

★かこさとし「からすのパンやさん」偕成社、1973年(2010年までに初版380刷! 手もとにあるのは2010年の第2版だ。)


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