CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2018年03月 | Main | 2018年05月 »
<< 2018年04月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
2015年、国会正門前に立つ高畑勲氏[2018年04月07日(Sat)]

高畑勲アニメーション、折にふれて.jpg
高畑勲『アニメーション、折りにふれて』岩波書店、2013年


◆アニメーション監督の高畑勲氏が亡くなった。享年82。

これまで2度姿をお見かけした。最初はこまつ座『父と暮らせば』500回公演の劇場ロビーで(2015年7月8日紀伊國屋サザンシアター)。
2度目は同じ2015年の9月、戦争法制に抗議する国会正門前の人波の中で。

★関連記事:
(1)井上ひさし『父と暮せば』500回公演を祝す(2015年7月9日)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/152

(2)高畑勲のメッセージ(2015年12月31日)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/234



*******

◆国会正門をじっと見つめる姿は2年半過ぎた今も忘れ難い。

◆下に抄録するのは高畑氏が2004年に行った講演の後半部分である。
ブッシュの始めたイラク戦争、自衛隊のサマワ派遣に抗して、映画人九条の会が結成された折の講演(2004年11月24日)だ。
高畑氏は「かなり生ぬるい意見」と述べているのは、感情的な断定口調では日本人の集団主義を助長するばかりであることを幾重にも自覚した抑制的な表現だが、同時に危惧が現実のものにならないよう願い、それを表現にしなければと模索を続ける理性のことばでもあった。
遠く隅々まで届くのは、むしろ声高でないこのようなことばである。


懸念していたことが巨大な暗雲となりつつあった2015年の国会前、単独者として現場に立った氏の心の中をその後ろ姿からくみ取ろうとした人々があの群衆の中に何人もいたはずだ。

*******

高畑勲「戦争とアニメ映画」から


反戦アニメについて

ところで、戦争反対と平和を願う気持ちを子供たちにもってもらおう、という狙いで作られたアニメは、かなりの本数あります。これは日本のアニメーション映画の大きな特徴の一つです。私の『火垂るの墓』などもそういう一本と見なされているのかもしれません。その多くは、戦争末期の悲惨な体験を描きながら、もうあんなみじめな思いや経験はしたくない、させたくない、というかたちで共有させようとします。それは一定の成果を挙げていると思います。
しかし、私は、『火垂るの墓』を作る前も、今も、真の意味で反戦ということで言うならば、こういう映画は真の「反戦」たりえない、というか、たいして有効ではない、と思い続けて来ました。戦争がどんなに悲惨かは、過去のことを振り返るまでもなく、現在、日々のテレビのニュースでも目撃できます。しかし、どの戦争も、始めるときには悲惨なことになると覚悟して始めるのではありません。アメリカにとってのヴェトナム戦争のように。今度のイラク戦争だってそうです。
私たちみんなが知らなければならない最大の問題は、戦争を始めるときのことなのではないでしょうか。戦争をしないで済むように国際協力を発展させ、国際間の問題を平和的に解決するための知恵と努力を持続すること、それこそが真の「反戦」だと思います。

主人公を勝たせたい

話がそれるようですが、いまは「泣ける」映画しか大ヒットしません。悲しくて泣くのでも、可哀想で泣くのでもなく、みんな感動して泣きたがる。「泣けた」というのが映画への褒め言葉です。ですから、作り手は、主人公にうまくいってほしいとそれだけを観客が願うようにもっていければ、もうしめたものです。腕のいい作り手は、リアリティのある高い水準の映像の力で、巧みに観客を引きずり回したあげく、どうしてそんなにうまくいくのか分からないまま、上手に話を運んで大団円にもちこみます。すると、みんな何度も何度も泣いてくれます。ひたすら主人公を応援して、気持ちよく感動したがっているのですから。そんなうまくいくわけがない、ということなど考えたくもないらしいのです。目覚めた知性や理性はその「感動」の前には無力です。
もし日本が、テロ戦争とやらをふくめ、戦争に巻き込まれたならば、六十年前の戦時中同様、大半の人が日本という主人公に勝ってほしいとしか願わなくなるのではないかと心配です。そして気持ちよく感動しようとして、オリンピックでメダルを取るのを応援するように、日本が世界の中で勝つのを、普通の大国として振舞うのを、みんな応援するのではないか。
いま、戦争末期の悲惨さではなく、あの戦争の開戦時を思い出す必要があると思います。それまで懐疑的だった人々も大多数の知識人も、戦争が始まってしまった以上、あとは日本が勝つことを願うしかないじゃないか、とこぞって為政者に協力しはじめたことを忘れてはいけない。そして有名人をふくめ、ほとんどの人が知性や理性を眠らせてしまい、日本に勝ってほしいとしか願わなくなっていたのです。ウソの情報を与えられて、だまされていたんだ、あるいは反対できる雰囲気ではなかったんだ、と言い訳することもできますが、それは後の祭りですし、勝ちいくさの時の情報はおおむね正しかったでしょう。私は国民学校四年生で空襲に遭い、玉音放送を聞きました。開戦当時は小さかったですから、よく分かっているとは言いませんが、少なくとも太平洋戦争を始めた頃、大多数の人々は心から戦争を支持したのだと思っています。それまでの日中戦争もそうです。あの頃の戦勝旗行列・提灯行列は、決して強制されたからやったのではなくて、みんな喜んで参加したのです。つまり大々的に応援したのです。そして酔ったように感動したのです。そして戦争に反対した少数の人々は、すでに牢屋にぶち込まれていました。

歯止めがかからない

戦争は映画ではないから、うまくいくかうまくいかないかは、それを応援する願望の強さによって決まるのではなく、冷厳な現実によって決まります。そして映画の巧みな作り手とちがい、無能な為政者は、うまくもっていってくれるどころか、ずるずると負け続け、やめることもできず、結局、国民を玉砕・原爆・空襲・引揚げ・抑留などの悲惨な現実に直面させたのでした。
やめることもできなくて、ずるずる。歯止めのかけようがなかったのです。別の意見をもっていて、方向転換を打ち出せたかもしれない少数派は牢屋の中でした。「大和魂」「撃ちてしやまむ」「一億火の玉だ」「本土決戦」「神風が吹く」。今からみればばかばかしいとしか思えませんが、ただただ日本に勝ってほしいという、みんなの中にあった単純な願望が、為政者のそんな非理性的な世迷い言を支えていたのです。「非国民」というのも、特高が使うだけの言葉ではありませんでした。普通の人々が、「おまえ、それでも日本人か。日本が負けてもいいのか。日本が勝つことを望んでいないのか。卑怯者!」という意味で、弱音を吐く連中を「非国民」と決めつけたりしていたのです。「負けてもいいのか」と詰問されて、「負けてもいい、いや、はやく降伏した方がいいのだ」と勇気をもって言える人はほとんどいませんでした。
あの戦時中とこれからと、どこが違うでしょうか。むろん大きく違います。しかしいまみんな、理性を眠らせて、映画を見ながらうまくいくことだけを願い、それが満たされて、感動の涙を流しています。このような精神状態は、まったく戦時中の前半とよく似ているような気がするのです。で、現実は映画とちがうから、やめることもできなくて、ずるずると深みにはまる可能性がたいへん高いのではないでしょうか。八月のオリンピックの野球で、日本代表の負けがほぼ決定的になったとき、みんなの願望を代表して、アナウンサーは絶叫しました。「ここで絶対負けるわけにはいきません!」
そしてその絶叫の直後、負けが決まりました。こういうアナウンスも、すごく日本的で、どこの外国でも同じ、というわけではありません。
この情けない私たちに歯止めをかけるすべはあるのでしょうか。知性や理性を眠らせないですむ方法はあるのでしょうか。

憲法第九条こそが歯止め

そのための根本理念が、憲法第九条なのではないかと私は思います。
あの高く掲げられた理想主義の旗。それと、これまでの日本の現実の歩みとのギャップはたしかにたいへん大きなものがあります。しかし、第九条があったからこそ、戦後の日本はアメリカに従属していたにもかかわらず戦争に巻き込まれないで済んだし、また、過去に侵略したアジアの国々との関係で過度の緊張が生まれなかったのだ、という事実を、しっかり認識し直すべきときだと思います。
また、この理想と現実の相剋があるからこそ、多くの人々の知性は目覚め続けざるをえなかったし、ずるずるいかないための大きな歯止めになってきたのではないでしょうか。理想と現実の相剋を、理想を捨て去ることによって解決しようとすることほど愚かなことはありません。この大きな歯止めをはずせば、あとはただ最低の現実主義で悪い方へずるずるいく危険性がまことに高いと思います。歯止めをかける能力は、今のひどい、最低のアメリカよりも、日本国民はさらにもっと低いのではないか。民主主義、意見の違いを許す度量、あるいは人と違うことをする人間を認める度量、そのどれをとっても、歴史的に異分子を排除する、全員一致主義をとってきた日本の方が、アメリカよりずっと劣っているのではないでしょうか。集団主義をとってきた私たちは、残念ながら、歯止めがかからなくて、ずるずる行きやすい体質をもっているのです。若い人たちは違うと思いたいのですが、どうも全然変わっていないとしか思えません。
第九条がなくなったらどうなる可能性が高いのか、それを、憲法と現実との整合性を求め、現実に合わせるべきだと思っている人々にも、絶対に考えてもらいたいと思い、かなり生ぬるい意見を述べました。
ともかく、いまこそ憲法第九条を高く掲げ、その精神にのっとった外交と真の国際貢献・国際協力をすすめるべきときではないでしょうか。

(2004年11月24日、映画人九条の会結成集会での記念講演。『シネ・フロント』同年12月号所収)*テキストは『アニメーション、折りにふれて』に拠った。
 

| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml