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石牟礼道子の出魂[2018年02月10日(Sat)]

DSCN5434.JPG
今朝出会った不思議な形の雲。
円墳か猫の足先のような円の縁がほのかな虹色を帯びて見えた。

*******

石牟礼道子さんが亡くなった。享年90。
『苦海浄土』三部作(第一部「苦海浄土」1969年、第三部「天の魚」1974年、そして第二部の「神々の村」2004年)を完成させての旅立ちである。

池澤夏樹の個人編集による世界文学全集(河出書房新社)には日本の作家の作品としてただ一つこの『苦海浄土』が収められた。それに添えた石牟礼のあとがきを引く――


生死(しょうじ)の奥から――世界文学全集版あとがきにかえて
      石牟礼 道子

わたしの地方では、魂が遊びに出て一向に戻らぬ者のことを「高漂浪(たかざれき)の癖のひっついた」とか「遠漂浪(とおざれき)のひっついた」という。
たとえば、学齢にも達しないほどの幼童が、村の一本道で杖をついた年寄りに逢う。手招きされ、肩に手を置かれて眸をさしのぞかれる。年寄りはうなずいて呟く。
「おお、魂の深か子およのう」
言われた子は、骨張った掌の暖かみとその声音を忘れないだろう。そのような年寄りたちが村々にいた。
幼い頃、わたしも野中道で村の老婆にこう言われた。
「う―ん、この子は……魂のおろついとる。高漂浪するかもしれんねえ」
母はいたく心配した。自分の魂の方がおろおろする人だったからである。ご託宣は的中した。
本作品を手放したあと、わたしはもとの地上に戻りつけなかった気がする。パーキンソンというへんてこな病気と道連れになってしまったからである。足許がふわふわして、五年ばかり着地感がなかった。今日倒れるか明日倒れるかと思う毎日だったが、雲のすき間から足を踏み外したようなぐあいに転倒したのは、去年の七月末だった。
一五〇センチに足りない身長なのに、着地するまでに千仞の谷に落ちていくような時間の重力を感じていた。見ていた人によればバウンドして倒れたそうな。当のわたしは落ちてゆきながら、もう一人のわたしが、鳥だか蝶だかのようなものになって、踵のあたりからひらひら離れていくのを視ていた。
大腿骨頸部が折れた勢いで腰椎の骨を突きさしていたそうだ。相当の激痛だったろうに着地した直後のことは、腕立て伏せができれば起きられるのにと思いながらすぐに諦め、あとは覚えがない。手術のことも、お見舞いに来て下さった方々のこともまるで記憶にない、という不思議を体験した。
人心地つくまでに、えもいわれぬ玄妙な音色を出している千古の森に連れて行かれていた。そこは海辺で、森全体を演奏しているのは海面から来る風であるらしい。指揮しているのは、落ちてゆくわたしから飛び去った鳥だか蝶だかが抱いている、元祖細胞に思えた。
森と風と波の調べは単純な弦楽器のようでもあり、全山の葉っぱたちが一斉にふるえるときは、生類の祖(おや)たちが、名もない神々から産まれる場面のようにも聞こえた。
まるまる三ヶ月ぐらいの記憶喪失と引きかえに、音楽の始源の中で癒されていたのかもしれない。


◆おのが魂のそんなありようは、第二部「神々の村」では次のように誌されている――

自分をこの地に縛りつけ、出郷してはならないと思いきめたときから、私は遊魂状態となっている。そして飛ぶ夢をよくみる。夢の中で飛ぼうと思えば、いつでも、躰のまわりに水の流れ出すような飛翔感が得られるのだったが、若い頃のように、天山山脈の上を飛んでゆくような夢ではなくなって、飛ぼうと思い立つところは、つねに今いる自分の村の、わずかな谷間だったり、樹の上だったりして、地をけって躰が流れ出すとき、地上からの空隙は二十センチぐらいから、丘の上に沿って、三十メートルくらいの高さだった。
(略)
そういうわけで、まわりに流れる時間はつねに、三重ぐらいになって交わり、天と地と中空の世界とがわたしを包んでいるのである。

  (「第二部 神々の村」――第四章 花ぐるま)

◆遊魂は作者だけに起きるのではない。不知火海の海と山の間にたたなずく森羅万象に起きているのであった。第三部「天の魚」の終わり――

ひさしくのぼれなかった家郷の山の上に、ひとりの女性に伴われてわたくしは登っていた。
一面に黄金色の霧がかかりはじめていた。
海岸線にそっている低いなだらかな山々から、光の霧のような秋の草の穂が、しずかに立ちのぼっていた。深い秋が、不知火海の海と空のあいだに燃えながら昏れようとしていた。山々やまるい丘の稜線は、常よりもたおやかに煙り、きらきらと光りながら漂う霧の下に、全山をおおって紅紫色の葛の花が綴れ咲いていた。
花の群落の間に芒(すすき)の穂が波をつくり、その芒のせいで、山々は幾重ものうすものを重ねたように透けてみえる。
動かぬ風が、それでもほんのわずかずつ、海の方へ海の方へと流れているらしかった。海の上の中空へむかっていま山々は、出魂(しゅっこん)しつつあった。
海から立ちのぼる霧とそれは合体し、空は、茫々と広がる霧を高く高くひきあげていた。
落日がそのような深い霧の彼方にともり出す。波の道とも霧の道ともしれぬ、流水形の白い虹が、海のおもてのあたりから、落日にむかって流れていた。魚たちも死者たちも、かの虹の道をのぼってゆくのであろうか。いな、まだこときれぬ死者たちが累々と、地上に匍匐(ほふく)し天を仰いでいた。

 「天の魚」第七章〈供御者たち〉

◆荘厳ともいうべき情景である。だが『苦海浄土』はこれで終わりにしない。
ベッドの、胸の手術の切口がふさがらぬ小道徳市老人の今わの姿を描いた上で次のようにしめくくるのである――

ささくれて割れた帆台のような胸を天に向けたまま、老人の海は濁った血の色に染まる。海は、光ながら漂う霧の下で、そのようなこときれぬものたちの匂いを放つ。
流木のかけらのような掌の輪郭が一瞬浮上し、波打つベッドの上に、金色の夕日が流れた。

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