身と魂のかな床へ[2018年01月11日(Thu)]
そして私は
往来の群衆を逆にねつて
ひとみの洪水を泳ぎながら
私の働き場に急ぐであらう
身と魂のかな床へ。
私はたち上がつた。
或る朝の七時二分。
畠山千代子「或る朝」より(詩文集『隻手への挽歌』より。新風舎、2005年)
◆若かりし日にウィリアム・エンプソン(1906-84)から英詩の添削を受けた詩人・畠山千代子(1902-82)の詩の一節。
この直前では、勤めに出る身支度を終えて机上の鏡に向かい、そこに映っている自分の目を「するどくにらみかへし」「解つている」と自分に言い聞かせてもいる。
外は「しだれ柳のさみどりが笑む」北国の桜の季節。
通りに出れば花見に向かう華やいだ人々が歩いていることだろう。
その人の流れに逆らい、昂然と練り歩くように歩を進める自分をイメージする。
おのれの働く場が「身と魂のかな床」であるとは、心の向かわせ方のなんと厳しいことであろう。
己の身と魂をとことん鍛え抜く真剣勝負の場にこれから向かうのだと。
1929年5月4日と日付けがある。
当時作者は弘前女学校の教壇に立つ人であった。
先日、長田弘の随想集で出会ったエンプソン、彼がC.Hatakeyamaとその名を書き遺し、長く幻の詩人と言われた人の詩文集『隻手への挽歌』をさる古書店から送ってもらった。
ひもといてみると、いきなりかかる裂帛の詩句に出会ったのだった。
★【先日の記事】
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