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角田柳作という人(3)[2018年01月07日(Sun)]

DSCN5162.JPG
鬼柚子(オニユズ)。獅子柚子ともいうそうだ。ソフトボールよりもさらに大きい。

*******

◆角田柳作(1877-1964)について、ドナルド・キーンは『日本との出会い』の中で敬愛をこめて紹介している。
「ニューヨークの中の一人の日本人――我が師角田柳作先生のこと」がそれだが、キーンとの最初の出会いから20年ほどのち、角田が存命中の1962年頃に書いた文章とおぼしい。

明治十年生れの角田は当時85歳、なお元気に「心はまさに青年のよう」にコロンビア大学の講義を持っていた。そうした事情をキーンは次のように書いている。

角田先生は何回も正式に隠退したが、若い学生たちが教わりたがるので、何回も現役に戻ったのである。今年は私の休暇の年に当るので、学生たちの希望に従って私の講座を角田先生に頼んだ。八十五歳でも新しい講座を喜んで引き受けて、元気よく教鞭をとっている。

◆先述したように、キーンが最初に角田の講義「日本思想史」を受けたのは日米開戦の直前、1941年の9月のことであった。12月5日に講義をした2、3日後に角田は敵国人として抑留された。ワシントン橋の側に角田のアパートはあり、ハドソン河のほとりの長い散歩を好んだ角田は、橋を爆破する可能性があるのではないかと疑われ、尋問を受けたようだ。

先生は返事として、長年にわたってアメリカで生活した外人の義理と責任について裁判官を感動させるほどの誠意が籠った発言をしたので、裁判官はしまいに、「角田さん、あなたは詩人ですか」と真面目に尋ねた。


◆戦前最後の角田の講義を受けた2ヶ月後にキーンは海軍に入隊し、そこで日本語の本格的な勉強に入る。任務で尋問した日本人捕虜から受けた印象や日本兵が記した日記を大量に読んだことがのちの日記文学の研究につながっていく。

戦後、同様に軍人として日本語を学んだ青年たちとともにキーンも復学し、角田の講義をむさぼるように吸収した。

要するに、われわれは先生の講義から全く新しい知識を得て、インスパイアされた。(略)
熱情の籠った講義をし、発言は独創的であって、詩的に聞えた。
(略)
民主主義を深く信ずる先生は、日本の伝統の中に現代人と繋がりがあって、将来の日本のためになるものはないかといろいろ考えて、あまり研究されていない思想家をを大きく取り上げた。三浦梅園、富永仲基、本多利明等についてすばらしい講義をされ、それはまだ私の頭に残っている。

◆文学に関して角田が愛読したのは西行、宗祇、芭蕉、漱石などむしろ正統なものであった、とキーンは振り返っている。

角田柳作という人物の魅力をよく伝えている文章であり、長田弘が福島中時代の角田先生について伝えるところとピタリと重なる。

◆話がわき道にそれるが、一点、キーンが記憶に残る出来事として記す西鶴の「好色五人女」にまつわるエピソードも引いておく。その理由は、師への敬愛に発する美しき誤解をそのまま録した風であり、司馬遼太郎も「ニューヨーク散歩」でこのくだりをそのまま引用しながら説明を加えていないのが気になるからである。

私の記憶の一つであるが、「好色五人女」の八百屋お七の巻を勉強していた時、「すこしの煙立ちさわぎて」とかいう文句があって、その次はお七は死刑場に引っばられる。私はいくら考えても意味を取れなかったが、教室で先生に聞くと、大いに笑って「あれは江戸の大火災のことだ」と説明した「すこしの煙」とだけを読んで、大火災を指していたことを了解するのは、私の日本語の力では絶対不可能であったが、先生は一切辞書や参考書を見ないで、直感的に何でも読めた。先生の専門は文学ではなくても、さすがに明治初め生れの学者だけあって、古典文学を特別に勉強しなくても自然に身の養いとなっていた。
*下線は引用者。

◆「すこしの煙」が大火災を意味するとは、手品を見せられたような書きぶりだが、飛躍があることが気になる。キーン氏の質問と角田先生の説明のやりとりの詳細は分からないのだが、質問に対してあえて意表を衝く答え方をしたとも取れない。大火は忌むべきことゆえにワザと「すこしの煙」と表現する忌み言葉のような使い方があるのかと思ったりする(「スルメ」の「スル」が縁起が良くないので「アタリメ」と言い換えるごとき)。
ズバリいうことを避ける婉曲表現や朧化表現はたくさんあるだろうが、「少しの煙」が大火を表すのなら、研究者が注解していそうなものだ。
いくつかあたってみたところ、そうした注記は見当たらない。

◆原文は以下のようになっている。西鶴の『好色五人女』巻四の八百屋お七と吉三郎の物語、その「世に見をさめの桜」の段、句点を施した岩波古典体系で3つ目と4つ目の文である。

すこしの煙立ちさはぎて、人々不思議と心がけ見しに、お七が面影をあらはしける。これを尋ねしに、つつまず有りし通りを語りけるに、世の哀れとぞ成りにける。

◆「世の哀れ」という抽象的な表現は放火犯として罪を問われる(それを人々が悲しむ)ことを意味しているのだが、「捕縛されて」に相当する表現はここにはない。上の文章に続いて神田や四谷、日本橋などでさらし者となりやがて火刑に処されるまでが綴られて行く。お上に突き出されて、といった具体的な動きを省略した記述になっているだけで、「少しの煙」自体はやはり文字通りの意味であろう。吉三郎に逢いたさの放火は大事には至らなかった、という記述に読める。

東明雅校注による小学館「日本古典全集」では以下の現代語訳を付けている。

少しばかり煙が立ち上ったので、人々騒ぎ立て、不思議だと気をつけて見たところ、お七の姿を発見した。

吉行淳之介も「煙がすこし立っただけで人々は立ち騒ぎ、怪しい出火と注意して見ると煙の中からお七があらわれた」と訳している(中央公論社版)。

現代語訳ではないが、たまたま古書店で入手した暉峻康隆先生の「西鶴 評論と研究(上)」(中央公論社、1953年)のこの場面の記述も引いて置く。

(吉三郎を)再び逢ひ見るよすがもなく、むなしく暮らすうち、ある風のはげしい夕暮、お七は寺へ避難した時のことを思ひ出して、「又さもあらば吉三郎殿に逢ひ見る事の種ともなりなん」と放火したが、燃えも上らぬうちに事あらはれて捕らえられ、定めの如く火刑に処せられることになつた。

やはり「すこしの煙」が立ち上っただけで、と解している。
「すこしの煙」に「大火災」という裏の意味がある、などということではない、と考えていいだろう。
◆「好色五人女」のこのくだりにお七捕縛が記述されていないためのわかりにくさであった。
キーン氏の疑問に応えて角田先生の短い一言が返されたのは事実だろう。その時、氷が一気に融けるように解決が与えられたことが、キーン氏には「すこしの煙」⇒「大火災」と直結した理解となり、驚きをもって記憶に刻みつけられた、ということであろう。

◆事実は放火の前年、天和2(1682)年12月21日の大火が最初の出会い。翌天和3年の3月2日夜にお七は火を放ったが、すぐ消し止められたというのが実説である。西鶴の「好色五人女」のお七の物語はそれをふまえる。
ただ浄瑠璃、歌舞伎や祭文語りでこれが流布するにつれ、お七が焼け出された1682年の大火をお七が火を放った大火災のように脚色されて行った経緯がある。
また、実際に天和年間は火災が頻発し、多くの放火犯が処刑されたことは事実である。
大事に至らなかったとしてもお七の放火は大火災をもたらしたのと同じ大罪を犯したことになる。
それが「お七火事」として流布されて行く。

◆実説と巷間に伝わる俗説との異同を吟味することがその時の師弟に必要だったかどうかは分からない。説明の手間を角田が省いたのかも知れず、あるいは「すこしの煙」が「火刑」の大罪に至る悲劇の物語を感得することの方が大事だと考えて、飛躍があるままの説明で事足れりとしたのかも知れない。
だが、仮にそうであったとしても、師弟の交流に瑕瑾を探すようにこのエピソードをあげつらうつもりはない。
これが物語るのはその逆で、師の短い示唆が弟子の胸にストンと領解されて、突き動かされた学びの意欲がそのさきはるか遠くまで及んで行く、そのきっかけを与えられたという体験が二人の間に(師と弟子の双方に)幾度もあっただろうということだ。「美しき誤解」という言い方をしたのはより正確には「意味のある美しき誤解」というべきで、多くの学芸上の発見や進化のスタートや分岐点において、しばしばそれは起こることのはずではないか。


キーン日本との出会い.jpg
ドナルド・キーン『日本との出会い』(中公文庫、1975年)

暉峻康隆西鶴上_0001.jpg
暉峻康隆『西鶴 評論と研究 上』中央公論社、1953年
*76年に西鶴を講じる暉峻先生の授業を受けた。「好色五人女」も無論取り上げた。時事的な話題もしばしば取り上げる警世のひとであった。艶っぽい噺や冗談に女子の笑い声が上がるのに比べて、男子の反応が乏しいことに情けなさを感じたことも懐かしい。

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