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角田柳作という人(1)[2018年01月04日(Thu)]

長田弘『詩人の紙碑』(朝日選書、1996年。初出は『図書』1994年3月号)の巻頭にある「『角田柳作先生』のこと」は、司馬遼太郎の「ニューヨーク散歩」(「街道をゆく」39)の「角田柳作先生」を受けて司馬に対する手紙のかたちで書かれたものだ。

◆司馬の「街道をゆく」は日本文学研究者のドナルド・キーン(1922~)のコロンビア大学退官記念の講演会および祝賀会に出席した話を中心に、キーンの師であった角田柳作(つのだりゅうさく。1877-1964)について数回にわたって綴っている。角田についてはキーン自身がその著書の中で回想しているが、彼の退官記念講演の中でも角田について触れた。

◆コロンビア大で〈日本語で「センセイ」と発音すればそれは角田先生のことにきまっていた。〉という。1931年から長くコロンビア大学で日本思想や日本文学について教え、また同大に日本関係の図書を多数寄贈、それをもとに設立された日本文化研究所の所長も務めた人物である。
キーン氏が角田の講義を初めて受けたのは1941年9月。日米開戦前夜であった。

◆早稲田大学に「角田柳作WEB展」というサイトがあり、そこにドナルド・キーンが一文を寄せているので引いておく。
同サイトには英文も載せているが、日本語全文を引くのは、キーン氏の語り口を彷彿とさせる日本語であるからだ。
個人的な記憶を書き留めておくと、1972年4月、川端康成の自死を伝えるニュースでキーン氏へのインタビューを聞いた。以下の文章はその時のインタビューをまざまざと思い出させた。1972年の4月17日夕刻、下宿に戻って未だ明るさの残る部屋で、ラジオから流れるキーン氏の声を初めて聞いたのだった。

★オリジナルは下から。
http://www.wul.waseda.ac.jp/tsunoda_web/p16.html


角田先生と私   ドナルド・キーン

角田先生のお目に初めてかかったのは1941年9月のことでした。

或る友人は角田先生の日本思想史という講座を最高に誉めたので、まだ学部の学生だったのに、おめおめと大学院の講座に登録しました。

同年の夏、家庭教師に日本語の手解きを受けたばかりで、高等授業に出席する資格は全くありませんでした。その上、学生が集る筈の最初の講義の時、私しかいませんでしたので、たった一人の学生(しかも資格のない学生)のために講義なさることはもったいないと思いましたので、先生に私が辞めようと申したら、先生は、一人でも十分ですと答えました。

二週間後、二人の日系人の学生が出席しましたので、ほっとしました。

初めは、私だけのために先生は徳川時代の思想化の講義をなさり、私が教室に入るまで、先生はその日論じる思想家の名言などを黒板が白くなるほど沢山書いたのです。私は勿論何も分かりませんでしたが、未来は分かるかもしれないと思って、黒板にあった漢字をノートに写しました。

が分からなくても、先生の講義は分かりやすかったばかりでなく、詩的でもありました。先生は朱子学派、陽明学派などの思想の特徴を説明しながら、どうして当時の日本人がこれらの思想を自分たちの生涯の進路として信じていたか、私たちに伝えました。しかし、私のなんとなく受けた印象では、先生の最もすきな思想家は学派に属しない独立な思想の持ち主だった。三浦梅園、富永仲基、本多利明などについての講義は異彩を放っていました。五年後のことですが、本多利明について修士論文をかきました。

ところが12月8日に講義があった筈でしたが、先生が見えませんでした。敵性外国人として留置されました。二月ほど後に、無罪が決まりまして、先生は釈放されて、コロンビア大学に戻りましたが、その時点、私はすでに海軍の日本語学校に入り、大体四年間ニューヨークにいませんでした。

戦後、大学院の学生としてまた先生の講義を聞くようになりました。当時、先生以外の日本関係の授業をする教師は皆日本にいましたので、先生は思想史の他に、歴史と文学も教えるようになりました。軍事服務のために思うように勉強できなかった学生たちは、非常な知識欲があって、先生にさまざまの授業を頼みました。先生は文学の方では、平安朝、元禄、そして仏教文学を学生の依頼に応じて教えていました。酷く搾取されていたと言えますが、若いアメリカ人がそれほど情熱的に日本のことを勉強したがることは、慰めだったと思いたいのです。

私は先生の授業から数え切れないほど沢山覚えました。私の古典文学の翻訳に[徒然草]と[奥の細道]が好評ですが、両方先生の許で勉強しました。博士論文は近松の[国性爺合戦]の研究でしたが、それも先生の授業に負うことが多いです。

先生がいなかったら、私もいなかったと言っても、過言ではないでしょう。




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