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生きること=「垂直であろうとすること」[2017年12月19日(Tue)]

DSCN4925.JPG
俣野橋から

*******

垂直であろうとする  田中清光

 アルベルト・ジャコメッティに

垂直であろうとするものの
影が
地のうえに伸びる
樹木の影
人の影
陽をあびて
涸れる草
門はいまも
歩きだそうとしている

えのころぐさが
古代の実をつけて
現在の風に吹かれている
土に横たわるものは
永遠の脈を
聴いている
塔も
耳を欹(そばだ)てているようにみえるが

石の方が耳はよい
バルトークよりも
立つ樹木
立つ人
最後の死のために
仆れまいとするものたち
仆れれば灰
大地の元素に呑みこまれる
垂直であろうとするものたち
盲いても
聾となっても

   「田中清光詩集」(思潮社、現代詩文庫、1998年)

◆ジャコメッティ(1901-66)の針金のように上に伸びる彫刻群に触発された詩。もと、1985年の詩集「花の錬金術」の一篇だ。
「垂直であろうとするもの」とはジャコメッティによって命を吹き込まれたあの彫刻たちを指すが、あの細い姿は、大小さまざまな大きさの作品たちだが、いずれも垂直であろうとしてあの姿になっているととらえている。

ジャコメッティ背の高い人物(1949年。ニューヨーク近代美術館蔵)−A.jpg
A.ジャコメッティ「背の高い人物」(1949年。ニューヨーク近代美術館蔵。93年、上野での同館展図録より)

◆「垂直であろうとするもの」は運動し続けているのであの姿になっている。
高いところを目指しているのか、仆(たお)れまいとして精魂を傾けるためにあの形になるのか分からないものの、静的な安定を実現しているのではなく動態の相をとらえたもの、ということになる。

◆この詩で「垂直であろうとするもの」と対比されているのは、「土に横たわるもの」。たとえば「」だ。
「石」は横たわりながら「永遠の脈を聴いている」。そして「塔」より「石」の方が耳は良いという。ここで「塔」というのは「垂直であろうとするもの」の暗喩、あるいは「垂直であろうとするもの」が作り出すものの象徴だ。
◆も一つ付け加えてバルトークよりも石の方が「耳はよい」とも言っている。
ハンガリーの土から生まれた音楽に耳を傾けた作曲家ベラ・バルトーク(1881-1945)よりも、である。とすると、せめて我々凡人は地に横たわる石にならうことを目指さなければならない。

◆ところが我々人間は、生きている間は地べたに仆れまいとするほかない者たちであるから、生きて在る限りは「永遠の脈」を聴くことから遠ざけられる宿命にある存在に過ぎない。であるにもかかわらず「石」の耳に近づいて「永遠の脈」に耳を欹てて生きるほかないのだ、と詩人は言う――たとい「盲いても」「聾となっても」()というのだから、生きることというのは苛烈である。

信州に生まれ、山を愛する田中清光(1931〜)には次のような詩もある。

底から

ふぶきによりそう耳
そばだてる耳
地の底のまたその底から聴こえているのは
地球の暗い歯ぎしりだ

(詩画集「黒の世界」私家版、1990年)




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