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彼らは引き金をひくために生まれてきたのではない[2017年12月17日(Sun)]

人間のつくったもの   星野博

人間は数限りなく
ものを発明してつくってきた
それらは生活にたくさんの恩恵を与えてきた
そしてひとたび戦争が始まると
それらのほとんどが見事に使いこなされた
ライト兄弟は空を飛ぶという魅惑的な経験がしたくて
飛行機をつくった
決して他の国に爆弾を落とすためではない
自動車は遠くの場所に手早く移動するためにつくられた
武器や兵士の輸送のためではない
通信機器は人と離れても触れ合いたいからつくられた
攻撃命令をくだすためではない
船は波に乗って陸地にたどり着きたいからつくられた
魚雷を発射するためではない
人間の胎内から生まれ出た人間そのものも
戦争の道具として使いこなされた
強制的に召集されて
縁もゆかりもない外国に連れていかれて
死を迎えた無数の人間たち
彼らは本当は他のものをつくりだすはずだった
道具や機械をつくったり
畑で作物をつくったり
もてなしの料理をつくったり
恋文をしたためたり
音楽を奏でたり
握手をして友情を生み出したり
やがてはわが子や孫をその腕に抱くはずだつた
彼らは引き金をひくために生まれてきたのではない
やがて戦争が終わって
もう三度と繰り返さないとの決意をもってつくられた
平和を維持するためのきまり 憲法
それも年数が過ぎゆくうちに
新しい解釈や意味合いを付け加えられて
別物にされてしまうのか
人間としてなにをつくりだすのか
ひとりひとりに委ねられている いま
 
詩集「線の彼方」(コールサック社、2015年)より

星野博氏は1963年生まれの方。
詩集が出たのは2015年。原爆投下から70年の5月に詩人は長崎・広島を訪ねた。
詩集の後半にある「慰霊の地へ」という詩は、初めて訪れた長崎の平和祈念像から始まる。
中に次の1行があった。

像の前で中学生達が歌う「大地讃頌」に聞き入っている

ページを繰るとコルベ神父のアウシュビッツを訪ねた「記憶の香る場所」という詩が続いている。
長崎訪問からは一月後である。長く念願していた旅のようだ。

何年も前から ずっと予想していた
もしアウシュビッツを訪ねることがあるとしたら
きっと思い雲に覆われた 雨の日になるだろうと
本当にその通りの 細かい雨の降る日になった


◆詩集の奥付を見ると発行日は2015年9月28日とある。
戦争法(安保法制)審議から強行可決へとなだれ込む日々、この先に待ち受けているものと過去とをつなげることばを探して紡がれたことばたち。
最初に掲げた「人間のつくったもの」を含めてこれらの詩群は詩集「線の彼方へ」の後半に《U 見えない線》という標題でまとめられている。

その詩群の最初にある「見えない線」という詩題は、この地球に人間たちが勝手に引いた線=国境のことを表している。渡り鳥や魚たちは国境を越えて往き来しているのに、人間だけがこの「見えない線」に行く手を阻まれ、絡め取られ、線を挟んでこちらとあちらとがニラミ合い、時にこの線を越えようとして命を落とす。

◆この詩集が世に出てから2年の間にも「見えない線」を越える多くの難民がいる。
他方でこの国の憲法には無理無体な解釈や法律が強引に結わえられがんじがらめにされつつある。
気息奄々のさまは秋ころまでは見えにくかっただろうけれど、寒気襲来と同時にようやく誰の目にもとらえられるようになった。

星野博「線の彼方」.jpg


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