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普天間小への米軍ヘリ落下物[2017年12月14日(Thu)]

◆沖縄・普天間小を米軍ヘリの窓が襲った事件、日本政府の緊張感の無さと米軍に対する弱腰が際立つ。
この事故を最初に知ったのは12月13日のNHKのFMラジオ正午のニュースだった。
菅官房長官のコメント(13日午前記者会見)の所から聞いた。
「学校関係者のみならず、沖縄県民の方々に不安を与えるものであり、あってはならない」という、言い方に切実さは毛筋ほどもなかったので、また交通事故か何かか、ともかく命の大事には至らなかったのだろう、と思ったのが実際だ。
「関係自治体に通知するなど適切に対応して」という型どおりの口調には何ら切実さが無かった。
ところが続けて聴いていると子どもたちのいるグラウンドに物が落ちた、という話だ。
(その後、落ちた物が跳ね返ってかケガを負ったらしいという話も聞こえて来た。)

続いて小野寺防衛大臣だったかのコメントのアナウンサーによる読み上げ。
「同型機の飛行を自粛するよう在日米軍に要請する」という内容だった。
ふざけるな!である。「自粛」ではないだろう。
「抗議し、即時飛行中止を申し入れる」のが最低ラインのはず。
一体これは、どこの国の政府なんだ?

その後は他愛もない、ニュースとも言えないような話題に移ってしまった(なので、それがどんな内容だったか、もう思い出せない)。

◆ラジオのスイッチを切って、聴いたばかりのニュースを振り返ると、政府のコメントが二つ(一つは官房長官の声の録音、もう一つはコメント読み上げ)伝えられているが、現地の声を伝えていない。
そのために一向に緊迫感がないのだった。ラジオを聴いた人は全く同じように感じたのではないか。大したことはない事故(官房長官は「事案」という、この数年、すっかり胡散臭さにまみれた用語を「敢えて」使っていた。重要なことを隠したいときに政府要人がしばしば使うようになったが、そもそも「案」とは木の上にものを置くことで、木の机のこと、借りて「考える」の意味に用いる。【例】原案とか案配。いずれにせよ切実さは乏しい。話者の冷淡さを物語るかさもなくば空トボケて嘲笑っているのだ)。
かくして「大事でないこと」→「よくある、珍しくないこと」→「いちいち目くじらを立てるほどではないこと」――という印象が振りまかれて、「忘れても構わないこと」「気にするのは変な人」という見方に移っていくのは造作もないことだ。

*その後、夜9時のTVのニュースではさすがに現地の声を複数取り上げていた。
しかし、少なくとも最初期の報じ方は、NHKが誰のためにニュースを伝えようとしているか、はっきりしていた。
視聴者である国民のためでなく、政府のための広報組織なのだった。
勝手に「公共放送」を標榜してはいけない。
(そう言えば高校・社会科の必修新科目「公共」も「国家=政府」の同義語になりそうな危うさをはらんだままだった。)

事故を起こしたCH53へりはこの10月に本島北部、東村に落ちて炎上した機種だ。2004年の同じく普天間基地に接する沖縄国際大学に墜落したのも同じ。

◆それ以上にこれまでの数々の米軍機の落下物・墜落による事故の数々を忘れてどうするのだ。
1950年の燃料タンク落下による女児圧死、65年のトレーラー落下による女子小学生圧死、その前年59年には宮森小学校への戦闘機墜落・炎上による17名にも及ぶ犠牲者があった。
これ以上何をガマンしろというのか。

*******

DSCN4887.JPG
鎌倉市大船の鹿島神社で。
龍には逆鱗(げきりん)というものがあるのだった。


コツコツ「物」になる[2017年12月14日(Thu)]

DSCN4878.JPG

 油   田村驤

枯れ草の細い道を歩いて行くと
「物」をつくっている仕事場にたどりつく
むろん
「物」は人が作るのだが その人も
「物」にならなければ「物」はうまれない
人が「物」になる仕事場には
どんな秘密がかくされているか


◆10連からなる詩の冒頭の連。
ここの「物」とは油絵のことを指すようだ。
画家のアトリエを訪ねて、画家が絵を描く姿を見る。
画家の仕事を「物」を作ることだと言う、これは半分くらい分かる。
しかしそれを作る人も「物」にならなければ「物」はうまれない、というのは簡単に分かることではない。

後の連に次のような詩句もある。

「物」が「物」を作る
無私とはこういうことかと ぼくは観察するよりほかはない
「私」を滅却するのには若干時間がかかる
時間といったって
二千年の 二百年の 二十年の
時間がかかる


◆「無私」というと「己をむなしくする」ことか、と考えたくなる。
そう言い換えてもいいだろうが、日本人の専売特許のアレだなと決めつけるのは早計で、そうした先入観のままでいたら了見が狭いと言うべきだろう。何しろ二千年という時間がかかる、と言っている。
「無私」を実現してめでたく「物」となった人間はこれまで地球のあちこちにいたし、今も居ると考えた方が良い(神話を混ぜて二千六百年と誇大に言いたくなる見栄や尊大さは無論ワキに置いた上で)。

ある「物」が生まれてそこに在る、ということは、これを押しのけない限り、他の「物」が同じ場所に位置を占めることは出来ない状態であることを意味する。

人が「物」になる、というのも同じことだ。
その人を押しのけない限り他の誰かがその位置を占めることはできない。
従って「無私」とは「私」が無いのではなくて、確かに居るのだが、その存在を認める者は敬意をもってその仕事を飽かず見ている(あるいは「聴いたり」「触れたり」時に「食べたり」している)ほかない状態だということだ。無論、「無個性」などではない。

詩にはこのあとに音楽家も登場する。

「物」の仕事場の階上に
音という「物」にとりつかれた若い女性がいたから
「音」も「物」ですね とたずねたら
「はい」

そこから詩人は、己がなりわいとする詩が「物」になっているか、ながめ直すことになる、という詩なのだが、「物」にならなければ「物」はうまれないという1行がいかにも「物」然として、そこに存在したので、その周りを回りながら考えてみた。芸術に限らない話である。

田村驤1999(函).jpg
田村驤齊刻W『1999』集英社 1998年。
函入りの詩集で、写真は函の方。


  
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