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佐藤忠良の「コツコツ」[2017年12月12日(Tue)]

DSCN8297.JPG
佐藤忠良「少女」(部分。1981年制作)

◆横浜駅の東口のポルタ入り口にある。
銘板に作者のメッセージがある。

この作品は私の孫娘・未菜(10才)をモデルに制作したものです。
横浜の新しい玄関(ポルタ)にふさわしく“すこやかさ”と“爽やかさ”を願ってこの作品のモチーフとしました。  昭和56年6月10日
          佐藤忠良


◆元NHKアナウンサーの山根基世さんの朗読講座のチラシが図書館にあった。
手もとのエッセイ集「『ことば』ほどおいしいものはない」(講談社、2003年)を開いたら「コツコツ」という一篇があり、20代のころから佐藤忠良のアトリエにしばしば訪ねていたことが書いてあった。
舟越保武らとともに具象彫刻を代表する彫刻家の制作の様子とその生き方が、飾らない筆で綴られている。
折に触れてアトリエを訪ねたもう一つの理由は、佐藤の内弟子・笹戸千津子に会える楽しみもあったそうだ。
彼女は佐藤が創立に関わった東京造形大の1期生で、山根と同年生まれで同じ山口出身とのこと。
佐藤の代表作「帽子」のモデルはこの笹戸であるという。

さて佐藤忠良の日常とは――

芸術家というのは、出勤時間にしばられることもなく、気の向いたときだけ自由に仕事をするのだろうとうらやましく思っていた。だが、忠良さんの日常生活を覗(のぞ)いて驚嘆(きょうたん)した。朝八時ごろから夕方七時すぎまで、外での用事がないかぎり、必ず毎日アトリエでデッサンするか、粘土をいじるかしておられる。これが、私がお会いするずっと前から、おそらく彫刻をはじめられた最初から今日にいたるまでの「佐藤忠良の生き方」なのである。
彫刻家を目指す学生からよく聞かれるそうだ。「彫刻が上手(うま)くなるコツは何ですか」と。先生の答えは決まっている。「コツコツやることです」


◆佐藤の職人的な生き方に示唆を与えたのは作曲家・伊福部昭の一言だったかも知れない。
2004年の伊福部昭が文化功労者に選ばれたことを祝うオーケストラ・ニッポニカの演奏会プログラムに、佐藤は次のような思い出を書いているからである。

伊福部昭というと、私に少年時代からずっと抜け切らずに心に深く残されてしまった彼の言葉がある。
二人で雑談していたときに彼が「運は寝て待て」ではなくて「練って待て…」なのだそうですと語り聞かせてくれたことであった。
その頃は「ああ、そうか…」程度の響きで耳にしてしまっていたことが、彫刻に身を入れ制作年令を重ねながら、作品がなかなかこちらの思う形になってはくれないということを思い知らされながら、あのときの伊福部昭少年の言葉が今だに私の中を過って消え去らずにいるのである。

(「ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ」より。
 ⇒http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20101218/1292636624

*佐藤忠良(1912-2011)は宮城県生まれだが、幼くして父を亡くし、母のふるさと北海道・夕張で育った。後のゴジラの作曲家・伊福部昭(1914-2006)に出会うことになるのは旧制札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)においてであった。

DSCN3013佐藤忠良ミーマアーB.jpg
佐藤忠良「ミーマア」(1984年 平塚市美術館)

*平塚市美術館には表通りに「緑」と題する若い女性像もある。

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山根基世「『ことば』ほどおいしいものはない」.jpg
山根基世「『ことば』ほどおいしいものはない」(講談社、2003年)




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