CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2017年11月 | Main | 2018年01月 »
<< 2017年12月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
よをしのぶかりのすがた[2017年12月05日(Tue)]

耕余塾小笠原東陽が休日ごとに釣り竿をかついで相模の海に出ていたという話、そうしてその釣りがしだいに「つきつめたものに変わっていた」(色川大吉)という表現に出くわして全く茫洋とした感じを覚えた。
小林秀雄「中原中也の思い出」が伝える中也の「ああ、ボーヨー、ボーヨー」に似た索漠とした気分だ。

中原中也(1907-37)は幼児期のいくさの記憶を抱えた戦間期の詩人というイメージがある。
それも、次のより大きないくさへの予感を抱えながら詩を詠んだ人という印象である。
愛児を喪った悲しみの詩も、生涯において繰り返し味わう喪失という主旋律の一つの変奏であるように思う。

陶原葵「笥」(「け」と訓むのだろう)という詩に、その血脈が受け継がれているように感じた。

 笥   陶原葵

よをしのぶかりのすがたがいくつかある
どれも へりにすわって
ひとこともはっしないのがつねである

それぞれかかえている平熱がとても高いので
もてあましぎみに
てのひらにころがしているようすはみえるけれど

石棺のすきまから じわ と 放射する過去に
口も腹も割ることができない

かなたにあがった虹いろの火柱はまだ
胸のおくにのこる が
瓦笥(かわらけ)に流し焼かれた釉の
垂れかさなり うつろいの濃さとして
このごろは すがたをみせる

貫入から
素の土肌を透かしみると

おぼえていることが
びいどろ 
びいどろ  と
滲みだす けれど

硝子質のよどみを
両眼いっぱいに溜めたまま

どこかしらの
へりにすわっている

陶原葵『帰、去来』所収(思潮社、2017年)

DSCN4799.JPG

| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml