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藤沢市羽鳥の耕余塾[2017年12月03日(Sun)]

小笠原東陽の耕余塾

色川大吉「日本の歴史 21 近代国家の出発」には、当地藤沢の羽鳥地区にあった私塾・耕余塾が紹介されている。その昔、これを読んでいながら記憶に全く残っていなかった。藤沢という地名すら記憶に留めなかったようであるのに、その町に住むことになったのだから、生きることが不思議な偶然の連続であるように感じる。

◆色川氏は〈村の維新・村の開化〉という一章を設けて、明治維新政府が国民皆学を実現すべく学制を発布した明治五年ころ、地方に自生していった郷学校の例として挙げているのが「相州(相模)第一の高等学府」と言われた耕余(餘)塾である。

その記述を引く。

明治五(1872)年三月のこと、商用があって上京した相州藤沢、羽鳥の豪農三觜(みつはし)八郎右衛門が、池上本門寺の付近で、青菜を洗っている学者ふうの人物をみかけた。三觜はこの年、「学区取締」を委任されたほどの名望家で、内々、村の子弟たちのために良い師をさがしていたのである。
かれは足をとめて、その浪士、じつは元姫路藩の武士小笠原東陽(とうよう)と語った。そして一目でほれて、どうか藤沢に来て村塾をひらいてくださらぬか、とたのんだ。
そのころ、東陽小笠原鉄四郎は四十三歳。はやく時勢に見きりをつけ、民籍にかえって、売卜(ばいぼく)糊口、まったくの赤貧のうちに僧徒らに教授していたのであった。


羽鳥村に招かれた小笠原東陽(1830-87)に学筵として用意されたのは徳昌院という廃寺だった。雨風をかろうじてしのぐばかりの荒れ果てた寺を「読書院(とくしょいん)」と名づけて郷学校がスタートした。東陽は村人にまず「水滸伝」の物語をきかせて一座の心を引きつけ、それから「小学」「論語」「孟子」と説き及んで行ったという。
翌年、神奈川県にも学制が施行され、各村に一校の小学校設置が義務づけられるようになったために東陽の塾も「羽鳥小学校」と改名。しかし東陽はそれとは別に読書院を残し、学制にとらわれない自由な教育を進めた。県令中島信行*1が三觜家に立ち寄った折に東陽の学才を惜しんで横浜師範学校に移るように勧めたが東陽は応じなかったという。
「日本の歴史21」からその先を引用する。

明治九年、読書院は塾舎新設にとりかかり、十年一月に完成した。このころ東陽の塾は相州第一の高等学府として、遠近から、百余名の門人をあつめるという盛況であった。かれは新しい塾を「耕餘塾」と名づけ、時勢の要求をいれて、漢学のほかに西洋の学問も教えることにした(少年時代の吉田茂があずけられたというのは、二代目松岡塾長時代の耕餘塾である)。
小笠原東陽はここでどんなことを教えたのか。
かれは歴史の変革期を生きた大塩平八郎と同じ陽明学者であった。したがって、彼の儒学はたんなる封建教学ではない、儒教のもつ変革的な生命力をうけついでいる。しかも、その教えに接した農民子弟のほうが、先生よりもいっそう自由な立場で、新時代に対処する主体的人間の骨格となるものをそこから汲んだのである。
東陽の嗣子(しし)小笠原鍾(あつむ)をはじめ、門下生平野友輔*2大島正義*3など多くの相州民権家がこの塾から輩出した。耕餘塾のパトロン三觜八郎右衛門自身が郷党の人びとの先頭に立って自由民権の運動に投じていった。


青字の引用はすべて色川大吉「日本の歴史 21 近代国家の出発」(中央公論、1966年)より。
また、引用文中のゴシックは引用者。

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*1当時の県令中島信行(1846-99)については2月の記事「大磯を歩く(1)」でその墓所を紹介した。
土佐の人で海援隊でも活躍。板垣退助らとともに自由党を結成。第1回衆議院議員総選挙で当選し、第1回帝国議会において初代衆議院議長に選出された人物である。
大磯の大運寺に妻・俊子(1864-1901)とともに眠る。俊子(旧姓岸田)は湘烟と号した作家であり女性の権利拡張に活躍した人物。
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/432

*2平野友輔(1857-1928)…藤沢生まれの民権家。八王子に医院を開業し、のち藤沢市長後で開業。1902年には衆議院議員に。
色川大吉は「明治人−その青春群像」(筑摩書房、1978年)で平野友輔を取り上げている由。

*3大島正義(1857-1923)…自由民権運動家、養蚕家。相模中新田村(神奈川県海老名)生まれ。明治14年石坂昌孝らの武相懇親会に参加。蚕の飼育法普及や蚕種改良に尽力した。

*******

◆藤沢市立羽鳥小学校のサイトに小笠原東陽、耕余塾、東陽記念碑、三觜家などが多くの写真とともに紹介されている。
【羽鳥散歩】
http://www1.fujisawa-kng.ed.jp/ehato/index.cfm/1,0,19,html

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