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ポールの姉・カミーユ・クローデル[2017年11月27日(Mon)]

ポールとカミーユ

ポール・クローデル(1868-1955)の戯曲は現在、本国フランスの演劇界では最もよく上演されるそうだ。
もう一つ、彫刻家カミーユ・クローデルの実弟として、この悲劇の天才彫刻家を後世に伝えた人でもある。
彼はまた駐日フランス大使として戦間期を日本で過ごしたが、「自分がついに見ることのなかった日本への夢を、若き弟の心にかき立てたのはいかにもカミーユであった。」と渡邊守章氏は書いている(1987年「カミーユ・クローデル」展図録、「二人のクローデルのこと――悲劇の分身、あるいは光の中の闇――」)
そのことを物語るように、カミーユには「波」という題の彫刻作品がある。

波1897-1903-A.jpg
「波」1897-1903年。

縞瑪瑙で造形した大きな波に呑み込まれようとする3人の女たち(ブロンズ)。
「水浴する女たち」がモチーフだが、北斎の「神奈川沖浪裏」に触発された構図であることが分かる。

カミーユ(1864-1943)は4歳年下の弟の胸像を少年期から壮年期の姿でいくつか遺している。いずれもモデルの内面を感じさせる作品だ。
下は16歳のポール。

私の弟1884-86-A.jpg
「私の弟」(1884-86年)
ローマ時代の青年像のような衣裳をまとわせ、青年期の入り口に立って鋭敏な感受性が奔出する直前の、不安を静かにたたえた表情の人物像になっている。

37歳のPクローデル(1905)-A.jpg
「37歳のポール・クローデル」(1905年。石膏)
当時のポールは外交官として中国での公使館・領事館に一等書記官→領事として勤めていた。(1895年~1909年。上海や北京、天津など)

のちにカミーユの初めての回顧展をロダン美術館で開くことを実現させたポールは、同展に寄せて次のように書いた。

カミーユ・クローデル。
美貌と天分との勝ち誇るような輝きと、わたしの若き日々のうえに行使されたしばしば残酷な支配力とのさなかにある、かの堂々たる若い娘の姿がふたたび瞼に浮かぶ。

ポール・クローデル「カミーユ・クローデル」より(『眼は聴く』所収。みすず書房、1995年)

*写真はいずれも1987年、渋谷・東急での「カミーユ・クローデル展」図録より。
これが日本において初めてまとまって紹介されたカミーユ展であった。




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