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運慶・無著像と世親像[2017年11月25日(Sat)]

◆上野で開かれている運慶展も会期末。
現存する運慶作およびその可能性が高い31作のうち22体が集結することとて訪れた日も入館規制があり、50分ほどを外で過ごした。

目当ては無著像(興福寺蔵)。高校の修学旅行が最初で、それ以来たぶん3回目の対面。
2度目は20年以上前の1月初めに、同僚たちと興福寺の国宝館で有名な阿修羅像などと一緒に観た。

◆今回は興福寺の南円堂にある四天王像を四囲に配し、それに囲まれるように無著像と世親像を置いてある。四天王像が当初は北円堂に安置された運慶作の像であるという説があるのでその組み合わせを今回試みたのだという(図録の浅見龍介氏の解説による)。

◆結果はどうだったかというと、殆ど演劇的な空間に身を置く感じがあった。
もし、それらの像の中にたった独り置かれたなら、自分がこの世に生まれ落ちてからのさまざまな記憶をたぐらざるをえなくなり、独りごちながらわだかまっているものを自分の体内から取り出してそれを見つめることになるだろう。

運慶無著像_0001-A.jpg

こちらが齢を重ねるごとに慕わしくなるのがこの像である。
写実的とよく言われる。それを良く示すのは無著像においては額や手の甲の盛り上がった血管だ。

無著像右手-A.jpg
*写真はいずれも運慶展図録より。

◆我われ凡夫の間近にいてくれる感じを与える。我々の身近にいる良く似た面立ちの人間を思い出す人も少なくないだろう。だが2メートル近いこの像は親しみと同時に気高い厳かさをたたえている。
魂の救済を求める者はこの像の前に立つことになる。


◆図録の写真を見るうちに、これと対をなす世親像が初めて近づいて来た。これまで無著像に惹かれる余り、難しそうな表情の世親像を遠ざけていた。顔の白い彩色は世親の方が多く剝落して顔面全体が黒っぽく見えることも災いしていたかも知れない。
実物を前にしながら気づかなかったこと―ーそれは、この世親像の方がより我々に近いところに立ってくれていたのだ、という発見である。下の写真がそれをよくとらえている。
眉根を寄せ、唇もやや歪めながら上に上げた表情。動きのある表情である。

世親像-A.jpg

◆ひとことで言うなら「惻隠」の表情だと思った。「孟子」にいう四端の心の一つ。あわれみいたむこころ、と一般に理解されているが、「孟子」では「怵タ惻隠」(じゅってきそくいん)と四文字で出てくる。子どもが誤って井戸に落ちようとするのを目撃したときの我々の心の動き方として説明される。ハッと驚いて手をさしのべねばと思う心の動きである。
我々が直面している困難や危険、窮状に気づいてこちらに近づこうとする瞬間の表情、それがこの世親像ではないか。
そう気づいてみれば、無著像が捧げ持つ包み(仏舎利を収めたものか)が世親の手にはない。最初にあったものが失われたのかも知れないが、だとするなら、世親は、彼が見たものの余りのいたましさに、手にしていた包みを思わず取り落とした姿にも見えてくる。

この二つの菩薩像が対になっている理由が想像できるように思う。


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