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民権散歩・伊勢原編(3)-伊勢原の「赤ひげ」先生[2017年10月25日(Wed)]

伊勢原の”赤ひげ”先生ー江口治カ人

◆今回の湘南社民権散歩・伊勢原編では、伊勢原の”赤ひげ”先生こと江口治カ人について教わった。(じろんど。1861-1925。「次カ人」という表記も伝わっているが、雨岳文庫の会の調査で「治カ人」であり、読み方も「じろんど」であることが判明した。)

◆治カ人(旧姓・赤沢)は山形の鶴岡に生まれ、1888年伊勢原の漢方医・江口武壽の娘リツ子と結婚、江口家を継いだ人。武壽も鶴岡出身で、戊辰戦争後伊勢原に寄留し眼科医院を開業、明治14年に自由民権結社・湘南社に加わっている。同郷の赤沢治カ人を婿養子に迎えたのであった。
治カ人は10年ほど東大医学部第一医院眼科に勤めたのち、1900年に「江山堂眼科医院」を開業した。「江山堂」の名は養父・江口の姓から「江」の一字、開業にあたり資金援助をしてくれた山口左七郎(湘南社初代社長)の姓から「山」の一字を取って恩顧に報いたものとのこと。

DSCN3933伊勢原教会-A.jpg
伊勢原教会(日本基督教団 伊勢原教会)。教会の設立は1917年。当初の教会堂は関東大震災で半壊し、1926年に現在の教会堂が建てられた。
江口治カ人・リツ子夫妻が通った。
ここで、「江口眼科」の往時を知る地元の方のお話を伺った。

◆江口治カ人は温厚篤実なクリスチャンとして、貧窮者には無料で施療した。また日露戦争後の不況による貧困の増大、1908(明治41)年の大火災によって集落全戸消失によって困窮した人々のために自彊(自強)組合を結成して人々自らが貧窮を克服するために活動した。治カ人没後も組合の活動は続けられ、戦後の1952年に解散するまで実に43年もの間、地域を支えた取り組みであった。
現在、伊勢原の板戸に治カ人の遺徳を讃えた「頌徳碑」(自彊組合碑)が建っている。
民権散歩当日は地元・板戸地区の自治会長さんが碑の由来を説明してくださった。碑の建立から65年を経て治カ人という人物が再発見されたわけである。

DSCN3941頌徳碑(自彊組合碑).jpg
頌徳碑(自彊組合碑)。伊勢原市板戸829番地にある。

*治カ人の没後、リツ子夫人たちは息子の壽が医師として勤務していた函館に移住。
現在、函館市末広町に江山堂・江口眼科病院があり、現在の院長・江口秀一郎氏は庄内藩に御典医として出仕した初代から数えれば6代目となるとのこと。以上は湘南社の人々を調査する中で明らかになったことである。

*伊勢原の”赤ひげ”、江口治カ人について、今年3月の東京新聞(3/8付)や北海道新聞(3/17夕刊)でも紹介された。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201703/CK2017030802000190.html
*伊勢原市のHPでも紹介されており、頌徳碑の碑文を活字に起こしてくれているのがありがたい。
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/docs/2016120700056/




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