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エリートしか眼中にない教育振興基本計画[2017年03月07日(Tue)]

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残照をめでるムクドリたち。整然と並んでいるところもあればそうでない列もあり。
一羽だけ違うポーズを決めているのもいたり……。(藤沢市円行あたり)

*******

第3期教育振興基本計画への疑義


◆ 「第3期教育振興基本計画の策定に向けた基本的な考え方」(以下〈考え方〉と略す)のパブリックコメント募集に送った意見を忘れぬうちに書き留めておく。
安保法制審議の際にも意見募集や公聴会が形式的なものになっていることをイヤというほど味わった。しかし、いかに恣意的な運用で歪められてしまう不充分な制度であるにしても、市民が意見表明の権利を行使することは、政治に数の横暴がまかり通ることを許さず、正道を歩ませるための義務でもあるだろう。オカシな点を見過ごさないことが権力監視の第一歩である。
憲法や法律があるから歯止めとなるとは限らないことをさんざん経験したのだから、憲法に書かれている権利の使い勝手を試しておくことはますます重要になっている。

〈考え方〉の概要は⇒http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/02/06/1381849_02_1.pdf

〈考え方〉全文は⇒http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/02/06/1381849_01_1.pdf

全部で23ページある〈考え方〉の最終章は「V.国民・社会の理解が得られる教育投資の充実・教育財源の確保」とあって、冒頭(p.22)に以下のような総論が示されている。


《教育の目指すべき姿の実現に向け、教育再生を進めていくためには、教育投資の効果や必要性を社会に示して「教育は未来への先行投資である」という理解を醸成し、財源を確保しつつ、教育投資を充実することが不可欠であり、その在り方について、今後教育振興基本計画部会において検討を深める。》


◆注意すべきは、「先行投資」という言い方には、投資したお金や熱意は必ず回収されねばならないとする考えがへばりついていることだ。
モトはしっかり取らないと、というイヤシさを隠さない。
人間を金儲けの手段とみなす。問題点のほとんどすべては、ここから生まれてくる。

具体的に見ていくと――

(1)p.22、(教育投資の意義)の一つ目の○の文章――

「少子高齢化の進展に伴い、労働人口の減少が見込まれる中、経済社会の活力を維持・向上させるためには、一人一人の生産性の向上が不可欠であり、質の高い教育を提供することが極めて重要となる。」
(強調及び下線は引用者。以下同じ)

◆「一人一人の生産性の向上」ということばに人間観が露骨に表れている。
鎌田慧のことばを借りれば、子どもたちは「教育工場」の労働者と見なされているのである。
パブコメには次のような批判を送った。

★子どもたちを生産の手段とみなす表現です。教育は豊かな人間性を育てバランスの取れた人格形成を促すためにあるのではありませんか。人間を育てる教育を忘れた人のことばです。


(2)同じくp.22、2つ目の○の文章とそれへの批判――

「理想の子供数を持たない最大の理由は、子育てや教育にお金がかかり過ぎることであり〜」

★「理想の子供数」という言い方が出来るのはどういう神経でしょうか?
また、一体それが最大の理由でしょうか。ここには「女は子どもを産む機械」と同根の発想があります。「理想の子どもの数」を国が家庭や女性たちに求めるのですか?「生めよ増やせよ」ですか?
子どもを持つことに踏み切れないのは、働く女性が普通になったのに、子どもを預けたり、男性の協力が得られにくかったり、一方男性側も、賃金が伸びない、非正規労働で子どもを持つとやっていけない(それ以前に結婚し家庭を持つ十分な稼ぎが得られない)などの理由がまずあります。そうした社会的条件を忘れた言い方です。


(3)p.22から23に続く、5つ目の○の文章とそれへの批判――

「教育投資の充実のための財源に関し、教育再生実行会議第八次提言においても述べられているとおり、人口構成の変化に対応しながら資源配分の重点を高齢者から子供や育て世代にシフトしていくという視点を持つことが重要であり〜」

★これはハッキリいうと、「高齢者切り捨て」ということを述べているわけです。高齢者は、「我々、厄介者・お荷物ということだネ」と暗澹とした気分になります。
本音が見えました。「地域の力で学校を支える」のにも、年寄りは要らないという託宣だと受けとめました。また、厚生労働省関連の予算は意識しながら、金食い虫の防衛予算に全く遠慮しておくびにも出さない風であることは全く不可解です。
教育にしっかり投資し、国外からの人材も招じ入れ、さまざまな分野から日本人も海外に出向いて人的交流を広く厚く促すことが安全保障にどれだけ資することか、という声を教育の側からきちんと打ち出すことが国家百年の計となるはずです。



◆もう一つ、昨今はやりの「エビデンス」一辺倒も弊害の方が大きい。

(4)p.23の(教育財源の確保に向けた取組)の2つ目の○の文章とそれへの批判――

「いわゆるエビデンスベースでの教育政策を進めていくことが必要である。」

数値化されにくいもの、目に見える形で現れにくい分野が軽視、捨象、無視される結果に陥る。
具体的には数学や理科などが重視され、人文系や社会科学系の教科は尊重されなくなる。そうなれば芸術、哲学、文学などの分野は人材が払底するだろう。教育は大事だと国民の共通理解ができている現代日本で、エビデンスを強調してはならない。


◆「教育振興基本計画」に注意しておく理由の第一は、国の基本計画のもとに置かれる国立大学が直接その影響下に置かれるからだ。
第二に、各都道府県から市町村に至るまで同様に基本計画を策定することに努めなければならない、とされている(2006年改悪教育基本法第17条2項)ために、各自治体は国の「基本計画」に沿い、それを逸脱しないようにそれぞれの「基本計画」を策定するばかりか、国が打ち出すさまざまな施策に置いてけぼりをくわぬように必死の状態だからである。グローバル人材育成のために文科省が推進する「国際バカロレア認定校」を我が県にも、という慌ただしい各地の動きなどはその一例である。
証拠を示せ=成果は数字で示せ、という強迫観念の跳梁跋扈は数値化しにくいものの切り捨てへと容易に進む。アメリカ公教育の崩壊はすでに見たが、日本もその道をたどっていることは昨日の亀山郁夫氏の警鐘に明らかだろう。

◆注意すべきは、これらがエリート育成を志向して憚らないことだ。
口にするのも恥ずかしいような「卓越大学院」などという用語が案出され、しかも誰もそれを怪しまないのも不思議ではない。

*文科省は「国際バカロレアを中心としたグローバル人材育成を考える有識者会議」を今週3月9日に開く(第1回)。そのメンバー一覧を見て驚いた。加計役という人物の名がある。学校法人加計学園副理事長の肩書き。森友学園問題に続いて取り沙汰されている、今治市への岡山理科大獣医学部誘致問題の当事者ではないか。

国大協が〈考え方〉について意見を公にしたようだ。
★3月7日exciteニュース
第3期教育振興基本計画、国立大学協会が「基本的な考え方」に対する意見を公表
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170307/Resemom_36956.html


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