茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(6)[2017年02月22日(Wed)]
西俣野にて
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茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(6)エピローグ
◆ふるさと草泊(ツアオポ)の村に帰ってりゅうりぇんれんがしたこと――
それはふるさとの黒い土を舐めてみることだった。
北海道の山中で独り過ごした日々で失ったものを確かめずには居られなかったのだろう。
失ったものとは、母なることばだ。
大地から生まれ大地を耕す一人の農民・りゅうりぇんれんを、労務者Aや不審者Bでなく、世に二人といないりゅうりぇんれんとして生きさせ、ふたたび大地に帰る日に彼を寝かしつけてくれるものだ。
生きている間じゅう、家族と語らい、喜びと悲しみを分かち合い、はらからに思いをくもりなく伝え、またはらからたちの胸の内をひたと了解するためのことば。
では、互いのことばが通じないまま、短い夏よりもさらに短く、ほんのつかの間、水浴びに興じて別れた、あの開拓民の子どもとりゅうりぇんれんとの間に、行き通うものは何もなかったのだろうか?
*2月20日の記事参照
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/428
――その答えとして、詩人はすてきなエピローグを用意した。
第32連、517行目から最後までを――
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りゅうりぇんれんは畑に飛び出し
ふるさとの黒い土を一すくい舌の先で嘗めてみた
麦は一尺にものびて
茫々とどこまでもひろがっている
その夜
劉連仁と趙玉蘭は
夜を徹して語りあった
一家の消長
苦難の歳月
再会のよろこびを
少しも損われていなかった山東訛(なまり)で。
*
*
*
一ツの運命と一ツの運命とが
ぱったり出会う
その意味も知らず
その深さも知らずに
逃亡中の大男と 開拓村のちび
風が花の種子を遠くに飛ばすように
虫が花粉にまみれた足で飛びまわるように
一ツの運命と 一ツの運命とが交錯する
友人さえもそれと気づかずに
ひとつの村と もうひとつの遠くの村とが
ぱったり出会う
その意味も知らずに
その深さをも知らずに
満足な会話すら交(かわ)せずに
もどかしさをただ酸漿(ほおずき)のように鳴らして
一ツの村の魂と もう一ツの村の魂とが
ぱったり出会う
名もない川べりで
時がたち
月日が流れ
一人の男はふるさとの村へ
遂に帰ることができた
十三回の春と
十三回の夏と
十四回の秋と
十四回の冬に耐えて
青春を穴にもぐって すっかり使いはたしたのちに
時がたち
月日が流れ
一人のちびは大きくなった
楡(にれ)の木よりもたくましい若者に
若者はふと思う
幼い日の あの交されざりし対話
あの隙間
いましっかりと 自分の言葉で埋(うず)めてみたいと。
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◆あの日のもどかしさが、届けることばを持ちたいという願いを何倍にも強く育ててくれたようだ。
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◆「りゅうりぇんれんの物語」のほか、茨木のり子の選りすぐりばかりを集めた文庫版サイズの詩集が、童話屋から出ている。
詩人の没後に編まれた「女がひとり頬杖をついて」(2008年)である。
編者・田中和雄氏の詩人と詩のことばへの愛情がかたちとなったものだ。
同じ編者による「女のことば」(同じく童話屋、1994年)とともに何度でも読み返したい1冊。