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「少年口伝隊一九四五」[2018年08月04日(Sat)]

少年口伝隊.jpg
井上ひさし「少年口伝隊一九四五」(講談社、2013年)絵はヒラノトシユキ。

井上ひさしの朗読劇「少年口伝隊一九四五」を観た。
新国立劇場演劇研修所の第12期生による公演で、演出は2008年の初演以来、この作品に伴走してきた栗山民也、音楽は井上が初演で指名した宮下祥子。語りかけるようなギター演奏が作品を支え導き、包む。

《公演プログラムの栗山民也のことば》

忘れてはいけない地球の歴史を、記憶する

久しぶりの上演だ。忘れていたわけではない。ずっと体のどこかに確実にあった。それも強い力で、ずっとグツグツと動いていた。それぐらいこの作品は、私にとって大事で、切実な作品なのだと思う。
二〇一七年のノーベル平和賞は、核兵器廃絶の国際キャンペーンを続けた「ICAN」におくられた。その受賞記念コンサートで、73年前に広島で被爆したピアノ(被爆ピアノ)が、演奏された。その音楽は、歴史を継ぎ、現代のオスロから世界へと流れた。その音は、「記憶せよ!」と、聞こうとする人々の中で、これからも何度も繰り返し響くことだろう。だがそんな人間として当たり前のことが忘れ去られようとしている。消されようとしている。
この朗読劇の中の人の心の深みへと届けられる言葉も、また同じだ。それは、無駄に世を去って行った無数の人々からの、未来に向けての励ましの声だ。たとえ肉体が朽ちてしまったとしても、生きようと必死だった者に作者は言葉を与える。食べる、歩く、眠るなど、そんな当たり前のことが完全に壊されてしまった73年前の歴史と向き合いながら、三人の少年口伝隊や広島の人たちの声を、今しっかりと、わたしたちは届けねばならない。

右の文章を書いた後、西日本豪雨の悲劇が起こった。この作品の枕崎台風と重なり、この巨大な自然の脅威を憂う。命を落とした方々に、哀悼の意を捧げる。 
                 栗山民也


*枕崎台風はヒロシマに原爆が落とされた直後の9月半ばに枕崎に上陸し、その後広島地方に甚大な被害をもたらした。敗戦後、気象台の通信網がズタズタになっており、台風情報が殆ど伝えられなかったことが被害を拡大した。柳田邦男「空白の天気図」で描いたように、被爆者救援のために広島に来ていた京大医学部の教授・学生らが土石流で殉職するなどの悲劇もあった。

◆「少年口伝隊」では、台風による追い打ちを次のように描いている。

どーん、どーん。
ごうごうと降りそそぐ雨の向こうから、地響きが伝わってきました。
「……じいたん、あれは?」
「わからん。このところの広島に起こることは、わしの哲学をはるかに超えちょるけえ、見当もつかん。」

 あれは山津波だ。
 まわりの山々が崩れ落ちている。
  ……
 いくさに夢中になっているうちに、人びとは、まわりの山々の手入れを怠っていた。
 その上、山々の土が原子爆弾の熱で焼かれて脆くなってもいた。
 いま、大量の雨をそそぎこまれて剥げ落ちた赤い山土が、杉の木もろとも街をめがけて滑り落ちて行く。

 (略)
 やがて広島は、
 汚れた水をたたえた湖になった。 
 二千十二名の命が湖の底に沈んだ。
 その中に、手榴弾を握りしめたままの勝利(かつとし)がいる。


*******

◆ロビーには研修生たちが広島を訪れた時の写真や、一人一人のコメント、メッセージが貼り出されてあった。若い役者たちの言葉の力に心打たれた観客たちが、終演後あらためて熱心に読んでいた。

また、「少年口伝隊」を教材として載せた高校用の教科書が展示されていた(教育出版「新編国語総合」)。
冒頭に掲げた単行本の表紙をはじめ、ヒラノトシユキの口絵を収めている。
上演すれば一時間ほどになる作品だが、単行本本文で74ページ。教科書はさすがに抄録ではあるものの、若い世代に読み継がれ、朗読発表へと発展するなら、じいたんのことばは生き継がれていくことになる。

「(……)広島の子どものなりたかったものになりんさいや。こいから先は、のうなった子どものかわりに生きるんじゃ。 (……)おまいにゃー やらにゃいけんこつが げえに山ほどあるよってな

*******

◆新国立劇場前は浅く水をたたえた中に石が配置されている。小劇場前出口から初台駅に向かうアプローチも同様だ。
終演後そのほとりのベンチに腰を下ろしたら、白い綿毛が水の上を動いて行く。
かすかに風が水面を撫でているのだろう、水面すれすれのところをツーっと滑っていくのだ。

DSCN7943-A.jpg

アザミの綿毛だろうか。

◆舞台の手前中央にヒロシマのジオラマ(段ボールなどでできていた)が置かれていた。
そのヒロシマの街に、黒い砂が役者さんたちの手からこぼれて落ちるシーンがあった。
原爆後に街を見舞った黒い雨の表現なのだが、あの黒い粒々が種として緑の芽生えになったり、川を泳ぐ小魚の眼に変貌するという演出もあるのだろうな、と想像していた。
その可能性を若い役者さんたちの声の力に感じて、そのことをアンケートにも書いた。

目に見えない風をわが力として自在に水上をすべる綿毛は、この日の若い役者さんたち一人ひとりの姿でもあるようで、いかにもこの日にふさわしかった。

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