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水害――小田川沿いの町々[2018年07月09日(Mon)]

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◆西日本豪雨の被害は深刻だ。
小田川の堤防決壊で多くが水没した倉敷市真備町の様子がくり返し伝えられている。
その小田川は小田郡矢掛町(旧山陽道の宿場町である)を経て真備町と総社市との境目辺りで高梁川へと注ぐ川だ。

◆県別では広島県での犠牲者が多い。
20年あまり前の夏、合併前の小田郡美星町(現在は井原市美星町)の家から広島県の福山市までリハビリ入院中の母親を見舞いに車で通ったことがある。
一度は福山市北部にある井伏鱒二の生家を訪ねたこともあった。

なだらかな山が続く一帯を連日往復しながら気になったのは、赤茶けた山が多かったことだ。
松枯れである。いわゆる松食い虫のしわざと考えられてヘリコプターによる薬剤散布が行われてもいたが、効果のほどはハッキリしておらず、外資系の農薬会社と政治が結託した事業に過ぎないのではないかといぶかる人も居なくはなかった(酸性雨の影響なども言われていたころである)。
原因はともかく、松枯れした山々が保水力を失っていたことは確かだろう。
山の荒廃が今回の甚大な被害の一因でないかと気になる。

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◆その小田郡矢掛町も道路が数十箇所寸断されているという。
矢掛町出身の詩人佐藤勝太氏の詩集『佇まい』(コールサック社、2017年)から一編。

ふるさとの町  佐藤勝太

高妻山が聳(そび)える峰から
見下ろす町並みと
小田川の流れがしみる
静かなせせらぎ

かつて大名の参勤交代で
江戸への往復路の
宿泊地となった歴史の町は
わがふるさと
東へ西へ走る山陽道は
昔から歴史を駆けて
今も人々の夢を運んで
長閑(のどか)な町を生きていた




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