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ナナメの線を引いてごらんよ[2018年06月28日(Thu)]

DSCN7497ツバメ−A.jpg
3連ツバメの図。3羽の関係は分からない。

*******

◆地元のシネコンで山田洋次「妻よ薔薇のように(家族はつらいよV)」を観た。

題名の「妻よ薔薇のように」は、同名の映画を作った成瀬巳喜男へのオマージュであるだろう(成瀬の「妻よ薔薇のやうに」は1935年公開。2年後にはアメリカで公開され、日本の商業映画として最初の米国公開作品となった由)。

◆映画は職人の手わざを随所に感じる。
4組の夫婦が登場するが、彼らの人間関係を監督の指先から紡がれる糸が浮かび上がらせてゆく。
糸自体は目に見えないのだが、つないでゆくあたたかな指先が感じられる。

◆画面に写る椅子や本棚に至るまでそれは感じられて、本棚の下の方に漱石全集(岩波版)が置いてあったが、庄太(妻夫木聡)の嫂・史枝(夏川結衣)への思いを暗示しているように思った。
漱石の小説(「それから」など)における嫂の存在を思い出させるしかけで、伏線になっているわけである。

◆本作の中心は史枝の家出騒動だが、その解決への要に位置するのが庄太である。
親たちの離婚の危機に直面して苦しむ甥の謙一(大沼柚希)が自分の部屋に上がってしまうシーンがある。
二階の謙一の部屋へと庄太が階段を上がってゆく。
この時の階段の手すりが、二人の関係、すなわち叔父と甥っ子というナナメの関係を簡潔明瞭に表現していて印象的だった。

祖父の周造(橋爪功)が階段を降りてくるシーンとは全く逆方向のベクトルを示す。
「また俺の悪口を言ってるんだろ」などと憎まれ口を弄びながら階段を降りてくる時は左上から右下への動き。
それとハッキリ対照させた右上への動線を観客の目に焼き付ける。
庄太が甥っ子に何を語るか、観客の期待が高まることになる。

◆祖父母→親→子というタテ方向の関係、夫←→婦・兄←→弟といったヨコの関係に対して、
〈叔(伯)父・叔(伯)母←→甥・姪〉というナナメの関係による支えが大事だと良く言われる。

このところ起きる事件でも当事者を支えるナナメの線があったかどうか気になる。
肉親の間に限らない。職場や地域と彼らを結ぶナナメの糸が存在したかどうか。
それがあれば不幸な事件は起きずに済んだのではないか、と思うことが少なくない。

◆謙一の部屋のシーンでは、庄太のパートナーである憲子(蒼井優)も静かに部屋に入って来て見守る。
一瞬クドイかな、とも思えたのだが、平田家の一員として欠くことのできない一人、甥を支える一人であることを表現しているのだった。

今回の映画、ラストにも印象的な場面がある。
月を憲子が両手の指でつくったL字のフレームに収めるシーンだ。
(史枝が故郷の友人宅で十五夜を眺めるシーンは無論、その伏線。ラストシーンはその二夜ほど後ということが分かる月の形。)

そうして憲子の庄太へのセリフ……二人にとって、未だ見えないが確かに伸びつつある新たな糸=それは謙一にとっても新たな糸となるはず……それを予告するようにして映画は終わる。

もう次作の構想が監督の頭の中には姿を現しているのだろう。


妻よ薔薇のように(家族はつらいよV)公式サイト
http://kazoku-tsuraiyo.jp/

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http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/907
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