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アンソロジー『列島詩人集』[2018年04月30日(Mon)]

日本のはて  許南麒

一九三九年の秋から
今日まで
二十から三十六までの
もっとも大切な歳月をすりへらして
いまやっと
ここ 北九州の
海辺にたどりついた
北海道にも行き
四国にも行き
柏崎にも犬吠岬にも
石廊崎にも安房白浜にも行き
東京にも大阪にも名古屋にも神戸にも
行っては見たんだが
しかし それらの地は
やはり わたしの探し求める地ではなかった
いま ここ
北九州芦屋から北東へ一里の地点
遠見鼻の岩に立ち
ほうほうと寄せては返す
暗い空と鉛色の海を見ていると
やっと着くべきところに来着いたという
安堵で目がしらがうるみそうだ
随分と遠くを探し随分と方々を歩いて来たものだ
わたしの探していたもの
わたしのたどりつきたいところが
海一つへだてたここ
朝鮮が一番近いところだったという
そのことさえも
気づかずに歩きまわった

いま ここ
玄界灘を前にした海辺の岩に立ち
岩にぶっつかり
岩を洗って返す水しぶきを見ても
何だか その滴の一つ一つが
他所のものでない
わたしのふるさとのもの
わたしの朝鮮の
岸を洗って来たもののような気がしてならない
――おーい と
声を限りに叫んでいると
誰かが海の向こうで
かすかに答えてくれるような気がする
ああ ここだな
わたしが永い間探し求めた
日本のはてというのは――
日本が ここで終り
その遠くの海の向うに
わたしのふるさとが始まるという
その地点は――

 木島始・編『列島詩人集』(土曜美術社出版販売、1997年)所収

◆青年期をすりへらすようにして続けた日本の果てへの旅とは、故里を探し求める旅。
1918年生まれの作者が三十六歳になるまで=1955年頃まで、ということになる。

海の向こうにそれは確かに在り、呼べば必ず答えてくれるという確信だけが彼を支えて来たようだ。

「故里の山が/河が/朝鮮の土が」歌う「夜中の歌声」(同じく『列島詩人集』中の許南麒の詩)を求めて柏崎、犬吠岬……と列島の突端を歩きまわる姿は、故国を目指して北海道をさまよった中国の人「りゅうりぇんれん」の物語を思い出させる。

茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(3)[2017年2月19日]
 出たところはまたしても海!
 釧路に近い海だった
 三人は呆れて立つ
 日本が島なのはほんとうに本当らしい
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/427


◆アンソロジー『列島詩人集』に収めた詩は、詩誌「列島」(1952〜55)からの採録ではない。それらは復刻版「列島」で読むことができるから除き、「列島」の同人・会員・編集委員や、作品を寄せた人々の、1997年までの全詩作品集から選び出したものだと、編者・木島始は記す。大変な力業である。
敗戦後の日本語による詩作品の、教科書などにはほとんど載らない大事な作品群がここに収められた。
加害を含めた戦争体験と敗戦後を生きた人々の生の軌跡を知ることができる。
そこから了解されるのは、戦後の国語教科書が取り上げた詩作品は(金子光晴や茨木のり子、石垣りんなどを除いて)大戦期からの数十年について大きな欠落がある、という事実である。

列島詩人集.jpg

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http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/841
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