千鳥ヶ淵の「自由の群像」その2[2018年03月31日(Sat)]
彫刻と化した鳩たち
◆千鳥ヶ淵の「自由の群像」の男性立像は3体いずれも頭に鳩が留まっていた。
最初、その鳩も作品の一部だと錯覚した。
鳩たちが身じろぎもしなかったからだが、「自然が芸術を模倣する」という好例かもしれない。
◆それはさておき、電通プロデュースによる谷口吉郎(設計)と菊池一雄(彫像製作)コンビの3部作のうち、最高裁前の「平和の群像」は2,3年前に撮影したはずだが画像が見つからない。
*次のブログに写真がアップされていたので参考までに。
★三宅坂の広告記念像
⇒https://plaza.rakuten.co.jp/yoake3/diary/200805130000/
◆もう一つの代々木公園「しあわせの像」(未見)については下記のブログに画像が載せてある。
★渋谷区の歴史:しあわせの像(代々木公園)
⇒http://tokyoshibuya.blog.shinobi.jp/%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E5%9C%92%E7%94%BA/%E3%81%97%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%81%AE%E5%83%8F%EF%BC%88%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%85%AC%E5%9C%92%EF%BC%89
◆「しあわせの像」も3体の像で構成している。
弓なりに大きく身を反らして親に身を預ける子どもと若い両親。
親たちをベンチに座らせたのは子どもとのバランスを考えたためであろう。
◆最初の「平和の群像」(広告関係者の顕彰。1950年)が高い台の上にあって見上げるものであったことからすると、「自由の群像」(新聞事業者顕彰。1955年)は、台座を用いず、眺める者と同じ高さに降り立った。
「しあわせの像」(放送界の顕彰。1971年)ではさらに低く、子どもの視線の高さまで下ろしたことになる。シリーズとして構想された3作は、広告媒体の中心が庶民により身近なものになって行ったことを像高によっても表現していることになる。
電通の視野にある者・埒外の者
◆3つの像の銘板に名が刻まれた人には、新聞と広告という風に二つの分野で顕彰された人物もいる。正力松太郎(読売新聞&日本テレビ網)、務臺光雄(読売新聞&読売テレビ)、石井光次カ(朝日新聞&広告連盟会長)などである。
新聞と放送の系列が出来上がっており、広告の顧客はそのマスコミを利用するわけだから、当然の結果と言えなくはないが、経営のトップに没後もライトを当てることに熱心で、現場で身を粉にして働く社員たちへの目配りがないことは気になる。
◆新聞一つ取ってみても、現場で取材する記者の存在なくして、一行の記事も成り立たないはずではないか?
記事が一つも無い新聞というものを想像して見れば良い。
罫線枠と下段の広告以外は白紙が続くだけの朝刊。
全面広告で数ページを埋めたところで、そんな新聞は誰も買わないだろう。
だが、一方で、広告代理店というものは、そのような究極の新聞を買わせようという壮大な夢を育てているのかも知れない、と思ったりもする。
ゾッとするけれど。
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事 件 谷川俊太郎
事件だ!
記者は報道する
評論家は分析する
一言居士(いちげんこじ)は批判する
無関係な人は興奮する
すべての人が話題にする
だが死者だけは黙っている――
やがて一言居士は忘れる
評論家も記者も忘れる
すべての人が忘れる
死を忘れる
忘れることは事件にはならない
*『落首九十九』(1964)所収。ここでは小海永二編『現代の名詩』(大和書房、1985年)に拠った。