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長田弘と吉川幸次郎(1)[2018年01月01日(Mon)]

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ガマの穂

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◆一冊の本がある時の記憶をたちまちよみがえらせることがあるものだ。
詩人・長田弘(1939-2015)の没後に出たエッセイ集『幼年の色、人生の色』の一篇「市井ニテ珠玉ヲ懐クモノ」を読んで、中国文学者・吉川幸次郎(1904-80)の名前が出て来た時だ。

一どもその声貌に接したこともなかったし、またその著述にかならずしも深く親しんだというのでもなかったけれども、吉川幸次郎さんの訃を聞いたとき、胸におぼえたのは、詩について、詩人の生きかたというものをめぐって、ある痛切なイメージというか、切実な印象を、その人の言葉から確実に手に享けたという感慨でした。

◆以前、学生時代に長田弘さんの授業を受けていながら猫の話しか覚えてないという情けないことを書いてしまったが、そうだった、吉川幸次郎の話をしたことがあった、と思い出した。
吉川幸次郎から享けたものを語っているこのエッセイの語り口が、当方の覚えの悪い頭をうまく揺するようにして思い出させた感じだ。
それだけではない。授業で吉川幸次郎の名前が出た折に「長田弘と吉川幸次郎という取り合わせとは意外だなあ」と感じたことも古い記憶の底からよみがえったのである。

◆このエッセイは、なぜ吉川幸次郎について語るのか、改めて理由を説明してくれたばかりでなく、我々に伝えたかったことを、ボンクラ頭が二度と取り逃がさないように書いてくれたのだ、と思える。

◆1955年に北米を旅した吉川が、詩人のエズラ・パウンド(1885-1972)をセント・エリザベス病院の精神病棟に訪ねたという話も、中国文学者とモダニズム詩人との取り合わせという点で不思議な感じを覚えるが、病院での二人のやりとりは竹林の七賢の清談を思わせるものであったようだ(吉川著『西洋の中の東洋』所収)。
パウンドは第二次大戦中、イタリアに暮らしており、ムッソリーニの熱烈な支持者だった。そのかどで米本国に召還されて反逆罪で告発されたのだが、精神障害を理由に1958年まで上記病院に入院していた。

パンツ一つの姿で吉川に会ったパウンドの印象を吉川は「Ezra Pound を聖Elizabeth病院に訪う。裸裎(らてい)にして客を見ること、阮籍の如き有り」と書いているという。
阮籍とは先述の竹林の七賢の中心で、俗物がやってくれば白い眼で冷ややかにあしらい、風雅の人士には青眼によって迎えたというあの人物である。
パウンドの目の色が実際何色であったか、ここでは触れていないが、歓迎の意をもって吉川とのひとときを共に過ごしてくれたと吉川が実感できたことは明らかだろう。

◆もう一人、吉川が目撃したウィリアム・エンプソン(イギリスの詩人・批評家。1906-1984)の過激な講演のエピソードも面白い。
中華人民共和国の人民服を着たエンプソンがアメリカの対中国政策を挑戦的に批判したのだという。マッカーシズムの余燼さめやらず、東西冷戦がはじまった1955年のアメリカでの話である。
長田はエンプソンの次のような詩を紹介している。

かれらが成長するのは、矛盾によってだ。
身を起して出かけるのが、いちばんいいことのようだった。
身を起せというのは、元気のつく力づよいこたえだった。
立っているということの本当の意味は、飛べないということだ。

「Aubade」(「夜明けの歌」1937年)から適宜抜粋したものだが、1931年に日本にやってきたエンプソンが来日早々に遭遇した地震を素材にしながら、満州事変から日中戦争へと続く戦争の時代にあって異なる文化を持つ者同士の恋愛につきまとう「不安」をテーマにした詩。
詩の生まれた事情をわきに置いても、この詩は「身を横たえて危機が去るのを待つ」ことと「立った姿勢を辛うじて維持する」こととは別の選択、「身を起して」外へ出て行くこと=一箇所に住することなく意思をもって動き続けること=ヨコでもタテでもなくその間のナナメの方向に運動し続けることの選択が意味のあることだ、というメッセージが込められているようだ。

パウンドもエンプソンも東洋と西洋の橋渡しを行った人々である。日中の文化的な架橋を進めた吉川の関心も、一国・一時代に住して固着する愚から遠かったことはいうまでもない。

*エンプソンは1934年まで東京文理科大で教鞭をとり、その後、北京大学でも教えた。なお、エンプソンは滞日中に詩人・畠山千代子(1902-82)を知り、その英詩の添削指導を行った。畠山の詩作品の翻訳・紹介も行ったという(青森県立近代文学館の鎌田紳爾氏による平成18年度調査報告に基づく)。同報告によれば畠山は弘前女学校に英語教師として勤め、石坂洋次郎の「若い人」の橋本先生のモデルとも言われる。作品集『隻手への挽歌』が2005年に新風舎から出た。
★青森県近代文学館の鎌田紳爾氏報告
https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/hatakeyamatiyoko.html

2015年5月10日の関連記事「長田弘さん逝く」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/133


長田弘「幼年の色、人生の色」_0001.jpg
長田弘『幼年の色、人生の色』みすず書房、2016年


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