CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 中也と「茶色い戦争」 | Main | 自我のはたらき »
<< 2019年06月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
寝屋川の家族におきたこと[2017年12月28日(Thu)]

DSCN4749阿吽.jpg
 島田佳樹「阿吽」(2017年)上野公園、奏楽堂付近

*******

大阪府寝屋川市で両親が娘を長期にわたり監禁し、栄養失調状態のまま凍死させた。
いたましすぎる。
いかなるものの犠牲なのか。

時事通信:12月25日】
★民家で女性凍死、長期監禁か=死体遺棄容疑で両親逮捕−大阪府警https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122500625


毎日新聞:12月27日】
★寝屋川凍死:2畳の部屋に暖房設備なく
https://mainichi.jp/articles/20171227/k00/00m/040/180000c


*******

◆娘さんには精神疾患があって暴れることもあったから監禁したいうが、それはいっときのものでしかなかったはずである。医療や福祉にどこかでつなげることがどうしてできなかったのか。

◆精神科医の中井久夫『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫、2009年)の「家族の方々にお伝えしたいこと」という章に、次のような一節がある(p.283〜)。

急性期を目撃すること、されることは、家族にも本人にも辛い。入院の意味の一つである。ただ、入院は生まれてはじめての環境に適応することであるから、「適応のための余分なエネルギー」をなけなしから支出することになる。入院後一週間に悪化するようにみえるのは「入院後適応症候群」が病気になることが多い。往診でここを通過できることがある。これを済ませてから入院ということもあり、入院しなくて済むこともある。家族の見ている前で患者がみるみる落ち着けば、本人にも家族にもとてもよい体験だ。しかし、一人での往診は初対面の場合には難しい。二人の医師(シテとワキだ)と、できればケースワーカーとがチームで往診を適時に実施すればずいぶん違うと思う。スウェーデンで計画されたことがあるけれど、まだどこでも実現していないはずだ。日本でやれたら日本の精神医療は一つのモデルを世界に提供したことになると私は思う。病気の人のところに健康な人間が行くのがほんとうなのだ。機会とか設備とかのために、病院に行くことが常態と錯覚されているのである。   *ゴシック、引用者。以下同じ。

◆自力で動けないケガや痛みの時は救急車をまず呼ぶ。精神の急な変調にも同様の対応をするのが本来だ、というのだ。体は何ともないようでも、どうしたらいいか患者は無論のこと家族もなすすべがない時がある。それに即応できる精神医療の態勢を、というのである。
この文章は1992年の兵庫県精神障害者家族連合会『二十五年のあゆみ』に寄稿したものだが、そのご四半世紀を経て、中井の提言は実現しているのであろうか。

◆次のような指摘もある。

患者の暴言暴力には、あのおとなしい子が別人になったと思いがちのようだが、いいにくいが、かつての両親、親戚のだれかとか教師などの昔の暴言のなぞりが多い。口調までそっくりだったりする。心の汚物の排泄でもあり、最初の自己主張でもある。「本心が出た!」「別人になった」と周囲が思うのはいちばんの不幸である。不幸とは悪循環がそこから始まることだ。ガラスにヒビがはいるように話が大きく破滅的になるかどうかは応対にかかっている。

◆さらにつぎのようなアドバイスも。

回復の一時期、母親のフトンにはいってくることがある。一般によい徴候である。父親に甘えるのはずっと後に来る。いっぱんに子どもは父親にはどう甘えてよいかわからない。「甘える」とは言葉以前に通じあえるものを求めることで、母親との間のほうがやさしい。だから父子の間には切ないものがある。父親はどういう人であろうと回復期の患者には「コワイ社会の代表」にみられがちであり、実際、その役をやらねばと思い込みがちである。父親は理解しにくい、されにくいものである。意外にも子どものほうから手をさしのべることがある。たとえば父親のフトンにもぐりこんだり、父親と背中合わせでうたたねしようとする。この体験のある人の治りは格段によい。どうか、気持ち悪いなどと思わず、このサインを受け取ってほしい。それはかならず「いっとき」であって、しかもその実りは遠くに及ぶのである。


◆寝屋川の娘さんからもそうしたサインが発せられていたのではないか。それを受けとめ損ねたとしても、回復を信じて見守る中で、ヒビを修復し、もつれを解きほぐす第三者の関与や支援がありえたはずではないのか。
それとも、それらが全く届かないほどに私たちは群れることを忘れ孤絶しているというのか?


この記事のURL
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/723
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml