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中也と「茶色い戦争」[2017年12月27日(Wed)]

《そりゃお前さん、『茶色新聞』でとっておきのネタを探すしかないな。もう新聞はそれしか残ってないんだから。競馬とスポーツについてはそこそこイケてるって話だ。》

フランク・パブロフ「茶色い朝」藤本一勇・訳(大月書店 、2003年)

*******

◆中原中也の代表作の一つ「サーカス」は、ブッシュ(子)によるイラク戦争の時期に邦訳が出たフランク・パブロフの「茶色い朝」によって、改めて読み直されることとなった。とりわけ冒頭の二行である。


幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました


◆佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」もまた「サーカス」について〈戦争の時代あるいは宙吊りにされた青春〉という標題のもとで紙数を割き(第五章の2。p.173〜194)、特に「茶色」について、軍医であった父・謙介の日露戦争期の写真のセピア色であろうか、として中也の随筆を引用する。

茶色い戦争
……「幾時代かがありまして」は過ぎ去った年月をふり返ることだが、ふり返った先には「茶色い戦争ありました」(第一連)と言う。「戦争」に「茶色い」という形容詞が付くことについては、現在までさまざまな説があるが、おそらく経年変化でセピア色に変色した戦争写真のイメージから来ているだろう。父親謙助のアルバムにあった日露戦争期の写真だろうか。
このことを説明するように、中原中也は未発表随筆「一つの境涯」(一九三五年後半制作と推定)に、次のように書いている。

寒い、乾燥した砂混りの風が吹いてゐる。湾も、港市――その家々も、たゞ一様にドス黒く見えてゐる。沖は、あまりに稀薄に見える、其処では何もかもが、たちどころに発散してしまふやうに思はれる。その沖の可なり此方と思はれるあたりに、海の中からマストがのぞいてゐる。そのマストは黒い、それも煤煙のやうに黒い、――黒い、黒い、黒い……それこそはあの有名な旅順閉塞隊が、沈めた船のマストなのである。
「その時はまだ、閉塞隊の沈めた船のマストが、海の上にのぞいてをつた」と、貧血した母の顔が、遠くの物でも見てゐるやうに、それでもそんな時にはなにか生々と、後年私の生後七ヶ月の頃のことを語つて呉れるたびに、私は何時も決つて右のやうな風景を心に思ひ浮べるのである。つまり私は当時猶赤ン坊であつた。私の此の眼も、慥(たし)かに一度は、そのマストを映したことであつたらうが、もとより記臆してゐる由もない。それなのに何時も私の心にはキチツと決つた風景が浮ぶところをみれば、或ひは潜在記臆とでもいふものがあつて、それが然らしめるのではないかと、埒もないことを思つてみてゐるのである。
 (p.178〜179。太字は引用者)

◆中也誕生の1907年4月末に、父謙介は軍医として旅順に赴任、その年の11月に生後半年の中也は母親に抱かれて大連に渡り、父とともに旅順までの旅をしたとはいえ、旅順港に沈められたロシア艦隊のマストというリアルなイメージは、母の回想によって記憶に刻まれたものだろう、と佐々木は言う。
また佐々木は、「サーカス」という外来語が定着したのは1933年にドイツからやってきた「ハーゲンベック・サーカス」の全国巡演以後であって、それまでは曲馬団という訳語が普通であったこと、従って詩が発表された1929年当時では「サーカス」はモダン過ぎる用語であり、中也は当初「無題」としてこの詩を発表したことに注意を払っている。その上で、「サーカス」と名づけたのは『山羊の歌』編集期の1932年4〜6月だと推定している。
*なお、佐々木が責任編集した「新編 中原中也全集」(第1巻。角川書店、2000年)では、分冊にした「解題篇」に「サーカス」だけでも上下2段組で5ページもの解説が付き、4次にわたる作品の変化が跡づけられているだけでなく、〔外来語「サーカス」の用例について〕という項が1ページ半=3段分も付くという徹底ぶりで驚かされる。
それらの成果が岩波新書「中原中也 沈黙の音楽」にも生かされているわけである。

◆「サーカス」でじかに言及されているのは、セピア色に変わった戦争の記憶だ。
しかし記憶を過去へと押しやって、観客たちは「今夜此處での」サーカスの歓楽に時を忘れて空中ブランコを見上げている。サーカス小屋の中は平和を謳歌し満喫しているようにみえる。だが、果たしてどうか。

◆サーカス団でライトを浴びているのはブランコ乗りと口上を述べる道化(詩の歌い手)。
道化は小屋の中を自在に浮遊しているように想像できる。
「観客様はみな鰯」は、ブランコ乗りの動きを追って顔が一斉に同じ向きに動くさま。
それを群れる弱小な「鰯」にたとえているのだが、その「鰯たち」を道化が高いところから見下ろしているようではないか。笑われる者の笑う立場への転換があるのである。

◆さてテントの外はと言うと「真ッ闇(くら)  闇(くら)の闇(くら)」。
その暗闇の向こうに何が起きようとしているか、空中ブランコに目を奪われている小屋の中の観客たちには分からない。
「落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと」がわかりにくい。
サーカス小屋のテントから落下傘へと連想が向かったのは自然であり、戦地の陣幕も連想される。
「落下傘にノスタルジアを覚えるような奴ら」という意味なら、落下傘部隊の活躍に郷愁を覚え、再び戦争を起こしたいと目論むやつら、ということになるだろうか。

ただし、本格的な落下傘部隊編成はドイツでは1936年。日本では日米開戦直後の1941年、スマトラ島パレンバンへの降下作戦であったようだから、この詩より12年も後のこととなる。とすれば、詩人の想像力は、近づく総動員戦の予感を詩によって表現した、ということなのだろうか。
(なお、日本軍の落下傘降下訓練は二子玉川のよみうり落下傘塔で行われ、戦後その塔が移設されて初代の江ノ島灯台となった。)

いずれにせよ、詩の最終連は、暗闇に乗じて「戦争でボロもうけ」を企むものたちがうごめいていることを暗示していて無気味である。


佐々木幹郎中原中也沈黙の音楽.jpg
佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」(岩波新書2017年)



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