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コツコツ「物」になる[2017年12月14日(Thu)]

DSCN4878.JPG

 油   田村驤

枯れ草の細い道を歩いて行くと
「物」をつくっている仕事場にたどりつく
むろん
「物」は人が作るのだが その人も
「物」にならなければ「物」はうまれない
人が「物」になる仕事場には
どんな秘密がかくされているか


◆10連からなる詩の冒頭の連。
ここの「物」とは油絵のことを指すようだ。
画家のアトリエを訪ねて、画家が絵を描く姿を見る。
画家の仕事を「物」を作ることだと言う、これは半分くらい分かる。
しかしそれを作る人も「物」にならなければ「物」はうまれない、というのは簡単に分かることではない。

後の連に次のような詩句もある。

「物」が「物」を作る
無私とはこういうことかと ぼくは観察するよりほかはない
「私」を滅却するのには若干時間がかかる
時間といったって
二千年の 二百年の 二十年の
時間がかかる


◆「無私」というと「己をむなしくする」ことか、と考えたくなる。
そう言い換えてもいいだろうが、日本人の専売特許のアレだなと決めつけるのは早計で、そうした先入観のままでいたら了見が狭いと言うべきだろう。何しろ二千年という時間がかかる、と言っている。
「無私」を実現してめでたく「物」となった人間はこれまで地球のあちこちにいたし、今も居ると考えた方が良い(神話を混ぜて二千六百年と誇大に言いたくなる見栄や尊大さは無論ワキに置いた上で)。

ある「物」が生まれてそこに在る、ということは、これを押しのけない限り、他の「物」が同じ場所に位置を占めることは出来ない状態であることを意味する。

人が「物」になる、というのも同じことだ。
その人を押しのけない限り他の誰かがその位置を占めることはできない。
従って「無私」とは「私」が無いのではなくて、確かに居るのだが、その存在を認める者は敬意をもってその仕事を飽かず見ている(あるいは「聴いたり」「触れたり」時に「食べたり」している)ほかない状態だということだ。無論、「無個性」などではない。

詩にはこのあとに音楽家も登場する。

「物」の仕事場の階上に
音という「物」にとりつかれた若い女性がいたから
「音」も「物」ですね とたずねたら
「はい」

そこから詩人は、己がなりわいとする詩が「物」になっているか、ながめ直すことになる、という詩なのだが、「物」にならなければ「物」はうまれないという1行がいかにも「物」然として、そこに存在したので、その周りを回りながら考えてみた。芸術に限らない話である。

田村驤1999(函).jpg
田村驤齊刻W『1999』集英社 1998年。
函入りの詩集で、写真は函の方。


  
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