窮迫した存在だけが、必然的な存在である[2017年12月08日(Fri)]
ミサイルに血税費やすな
◆小野寺防衛相は8日の記者会見で空自戦闘機搭載の巡航ミサイル導入の予算を追加要求すると発表したと言う。「敵基地攻撃を目的としたものではなく、専守防衛に反するものではない」という説明自体が矛盾している。「専守防衛」をまだ国是としているというなら、それに反する恐れだらけの安保法制の廃止はもとより、最大のリスク要因である人々に退場勧告をしてほしいものだ。
危機回避に努力するのでなく危機に乗じて予算増を狙うのは火事場泥棒という。
★【12月8日毎日新聞】巡航ミサイル予算要求 「脅威を排除」
⇒https://mainichi.jp/articles/20171208/k00/00e/010/268000c?fm=mnm
生活保護引き下げは許されない
◆一方で厚生労働省は生活保護の給付額引き下げの検討に入ったという。
食費や光熱費などに充てる「生活扶助」を最大1割程度、引き下げるというものだが、その根拠は一般の低所得世帯の消費支出より支給額が多いとの調査結果があるからだそうである。
★【共同通信12月8日】生活保護費、最大1割下げ 厚労省、5年ぶり見直し
⇒https://this.kiji.is/311548272424944737
これも良く考えればおかしな話だ。
生活に困窮している人同士を比較しているからである。
富の再分配に国として取り組むのでなく、やせこけた困窮者同士のデスマッチを富裕層に見物させるような隠微なやりくちではないか。
一方で天井知らずの国防予算肥大を容認していては、財布に大きな穴があいたままということだ。
◆辺見庸の「わが人生最高の10冊」(「週刊現代」掲載)で次の言葉を教わった。
〈窮迫した存在だけが、必然的な存在である〉
――フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』(岩波文庫)
★辺見庸ブログ
⇒http://yo-hemmi.net/article/455321015.html
無論これは逆説なのだが、「困窮した人間以外は存在に値しない」とあえて言い切ることで、見えにくいものの正体が露わになる。
一方にゴルフ練習までして迎えた賓客と合意したのが武器大量購入約束という血税無駄遣いの謀反人とそれに続く背任の徒輩がおり、他方にかつかつの暮らしを堪え忍ぶ人たちが居る。
まさに「短き物を 端(はし)切ると 言えるが如く しもと(笞=むち)とる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ」(山上憶良「貧窮問答歌」)そのままだ。
怒りの照準を正しくどこに合わせるべきか、はっきりしているではないか。