カミーユ・クローデルとロダン[2017年11月28日(Tue)]
◆ロダンとカミーユ・クローデルとについては大彫刻家とその弟子にして愛人という片付けられ方をされることが多かった。それがロダン美術館で2回目のカミーユ・クローデル展が開かれ、日本でも1987年のまとまった展覧会が全国を回ったころから評伝も出、映画にも取り上げられるようになって、カミーユの作品そのものへの評価が本格的なものとなったようだ。
カミーユ・クローデル「オーギュスト・ロダンの胸像」(1888-92年)
◆カミーユがロダンに会ったのは1883年、カミーユが18歳の時である。ロダンは42歳。1880年に国から依頼された美術館の門扉の制作を進めていた。「地獄の門」である。
88年に美術館建設は中止と決まったが、ロダンは制作を続行、カミーユが手がけた部分もあると言われる。また、門の上、「考える人」の小像の上、装飾的な枠に並んだ首の一つはカミーユの首であるという。「考える人」像の真後ろに並ぶ4つの顔から離れた右手の顔=「考える人」像の背中を右上方から見下ろす顔として置かれている。
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カミーユ・クローデル「ワルツ」(1891-1905)
のちにカミーユと交際することになる作曲家のクロード・ドビュッシー(1862-1918)は終生この像を手もとに置いていたという。
カミーユ・クローデル「フルートを吹く女」(部分)1900-05年
上の2点、どちらも音楽が聞こえて来そうな彫刻だ。
◆弟ポール・クローデルは1905年、カミーユの彫刻について、《この世で最も「生気のある」、最も「精霊的な」芸術》と評した。そうして、ロダンの彫刻と対比して見せる。
先ほど触れた彫刻家(*ロダンのこと)の作る像が、それを彩る光線のもとで、隙間のない塊であり死んでいるのに対して、カミーユ・クローデルの群像は、常に内部に空無をはらみ、その群像に「霊感を与えた」息吹に満たされている。一方は光を拒絶し、他方は、明暗法の部屋の空気の中で、美しい花束のように光を迎え入れる。ある時は世にも愉快な空想によって、透かし彫りをした像が光線を裁断し、焼絵ガラスのようにそれを分割する。ある時は内側に窪みをもって、陽の光と閉じ込めた影との深い合奏により、一種の共鳴と歌とを手に入れる。
*ポール・クローデル「彫像家カミーユ・クローデル」1905年。渡邊守章 訳(1987年カミーユ・クローデル展図録)
◆姉の身も心も奪ってしまったロダンへの複雑な感情から、ロダンを酷評すること急な文章になっていることは否めないのだが、ここにはカミーユの作品に正当な評価を与えたいという熱烈な思いがある。
一方ではポール自身もまたランボーの詩との出会いから。マラルメへの親炙、1889年のパリ万博を契機とする東洋との出会い、信仰上の大きな転換、中国行きの船上で出会った婦人との恋など、熱狂と傷心の激動の時を生きつつあった。
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◆1898年にはカミーユはロダンと訣別する。カミーユは女性彫刻家として生きることの困難にはむしろ果敢に立ち向かうタイプではなかったかと想像するが、ロダンが長年連れ添った内縁の妻ローズとカミーユの間で煮え切らぬままでいたことがカミーユにとって大きな葛藤であったことは確かだろう。精神的な変調が彼女を襲う。その中で制作した「分別盛り」には三人のドラマが表現された。
カミーユ・クローデル「分別盛り」 (1894-1900)
◆左からローズ、ロダン、そしてカミーユの表象とみていいだろう。
三者の表情、手の表情、体の傾きそれぞれにドラマがある。作品の周りを移動しながらどこに注目するかで、三人のそれぞれの葛藤を変化の相において感じ、さらに相互の関係の変位までも目の当たりにすることになる。
この「分別盛り」には石膏のものあるが、男の左手と引き止めようとする若い女の伸ばされた両手の位置や手の表情が異なっている。ポール・クローデルの表現で言えば、1895年制作のその石膏像では「嘆願する女にゆだねられているように見える長い腕は、実際には解放の道具であって、彼女を押し戻しているのである。」というのである。
*ポール・クローデル、1951年ロダン美術館でのカミーユ・クローデル展のテキスト(P.クローデル「眼は聴く」)
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わたしの姉の作品、その唯一の興味をなすもの、それは、その作品全体が彼女の生涯の物語だということだ。その痕跡は、ひとりの男性なり出来事なりの思い出に捧げられた偶像崇拝的な奉献や想像力の凝固でも、さまざまな背丈の標定でも、さまざまな装飾的形態によるいわば空間の植民でもない。表現されているのはひとつの情熱的魂である。
(同じくポール・クローデル、1951年ロダン美術館でのカミーユ・クローデル展のテキスト)
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カミーユ・クローデル「少女と鳩」1898年
横たわる少女は少女時代の自分なのだろうか、それともロダンとの間に得べかりしわが子のイメージなのであろうか。