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『JR上野駅公園口』の語り手[2017年11月18日(Sat)]

DSCN4716モミジバフウ国立博物館-A.jpg
モミジバフウ(紅葉葉楓)。上野の国立博物館本館前にて。

*******

柳美里『JR上野駅公園口』の主人公カズの耳に、上野恩賜公園でのホームレス仲間シゲさんの死が聞こえて来た。
その時の彼のつぶやき――

死ねば、死んだ人と再会できるものと思っていた。遠く離れた人を、近くで見ることができたり、いつでも触れたり感じたりすることができると思っていた。死ねば、何かが解るのだと思っていた。その瞬間、生きている意味や死んでいく意味が見えるのだと思っていた、霧が晴れるようにはっきりと――。


「生きている意味や死んでいく意味」が解らないまま、果てしなく永い中有(ちゅうう)を漂流している主人公。その在りようは、続く部分で次のように語られる。

でも、気が付くと、この公園に戻っていた。どこにも行き着かず、何も解らず、無数の疑問が競り合ったままの自分を残して、生の外側から、存在する可能性を失った者として、それでも絶え間なく考え、絶え間なく感じて――。
(河出文庫版、103ページ。以下、ページ数は文庫版のもの)

この世に生まれたときから「存在する可能性を失った者」であるはずはないのに、「絶え間なく考え、絶え間なく感じて」しまう者は「無数の疑問が競り合ったまま」生きるために、存念に苦しみ続ける人間である。
手際よく見せられる解決策や、悟りすました顔を持ち合わせない人間、すなわち、むき出しの魂を水に浮かべて風に翻弄され続ける人だ。そのために「存在しない者」のように扱われ続ける人だ。そうした魂のつぶやきが水の中から泡のように立ち昇ってくると絶えず感じる作者が、小説の終わり、3.11の津波に呑み込まれるカズの孫娘と二匹の犬の死をカズに目撃させるのは必然だったろう。

彼らの死を目の当たりにしながらカズはしかし、「抱き締めることも、髪や頰を撫でることも、名前を呼ぶことも、声を上げて泣くことも、涙を流すことも」できない(165ページ)。
小説の冒頭ですでに「終わりはあっても、終わらない。」/「でも、終わった」(8ページ2行目、13行目)と書いてある通りに、小説全体は、中有に浮かぶカズの魂が語っているものであるからだ。
作者の仕事はそれを代弁する巫女のように物語ることだ。
その作業は実は、あまたの「存在しない者」たちの掌や足の痕跡を、良く練り込んだ粘土板に刻みつけて、確かに世にあらしめようとする営みだ。
それを読む私たちは、作者とともに彼らの存在を認め、泡のようなそのつぶやきに耳傾けることになる。
じわりと魂が揺さぶられるのはそのためだろう。
つぶやきは増幅され、我々は水の中で全身がその波動にくるまれるような。

他ジャンルの表現者たちにもその波を受けとめた人たちがいることだろう。
願わくは、この作品を芝居なり映画なりの形で世にあらしめる特操の人が現れますように。



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