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「自由」に合う靴は[2017年11月14日(Tue)]

DSCN3299ブールデル「自由ー大」1918-22.jpg
ブールデル「自由ー大」 (1918-22。箱根彫刻の森)

私の足に 
  永瀬清子


私の足に合う靴はない。
私にぴつたりする靴は
星の間にでも懸つているだろう。
私は第一靴と云うものを好かないのだ。
足の形につくつて足にはめると云うことは
全く俗なことではないか。
それに奴隷的なことでさえある。
私はもつと軽くもつと翼のあるものがいい。
もつと水気があつて、もつとたんわりしたものを選ぶ。
そんな風に人々はちつとも考えないのか。
ひさし髪と云うものがあつた時もあつた。
長い裾をひきずらなくては
恥かしくて歩けない時もあつた
夜、星のすべすべした中に靴をさがす。
靴型星座をたずねあぐんで、
私のもすそはその時東の暁け方にふれる。
けれども夜があけて私は草の上に立つている。
私の蹠(あなうら)は大方の靴よりも美しい。
そしてこの蹠はいつも飢えているのだ。
そしていつも砂礫に血を流すのだ。

 
◆写真の彫刻はブールデルがアルゼンチン政府の依頼で第一次世界大戦中に制作したもの。箱根彫刻の森美術館のエントランスを抜けて直ぐの見晴らしのいい場所に建つ4像の一つ、「自由」である(他の3体は「勝利」「力」「雄弁」)。

この像の力強く踏みしめられた両足を見ているうちに、永瀬の詩が女神像の語ることばとして全く違和感がないことに気づいた。
「自由」を足型にはめることはそもそもできない。
そして「自由」が「自由」自身であるためには、どれほどの血を流すことか。

****

同じ写真の下肢部分のみ載せておく。

DSCN3299ブールデル「自由」部分.jpg

*詩は江國香織が編んだアンソロジー「活発な暗闇」から。いそっぷ社、2003年。


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