• もっと見る
« 「統帥権」に酔い痴れる者 | Main | 円生に会った――こまつ座「円生と志ん生」  »
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
「帷幄上奏」の暴威[2017年09月16日(Sat)]

DSCN3338.JPG
稲穂を縁飾りのように彼岸花が彩る

*******

◆前回、司馬遼太郎の『この国のかたち 四』から「帷幄(いあく)上奏」という統帥権上の特権について書いたくだりを引いた。
統帥に関する作戦上の秘密を、統帥機関(陸軍は参謀総長、海軍は軍令部総長)が、首相などを経ず、じかに天皇に上奏することである。

司馬はこれに関して反対論や廃止論(西園寺内閣吉野作造)のあったことにここでは触れない。機密を擁する作戦を「いちいち政府や議会に漏らすわけにもいかないからこれも妥当な権能といっていい」と至って寛容である。そうして「ただ、この権能までが、昭和になると、平時の軍備についても適用されるという拡大解釈がなされるようになった。」と書く(前回記事参照)。

◆ラフに記述しているので若干補うと、帷幄上奏を行う者が陸・海軍の大臣や元帥らにまで拡げられ、上奏する内容も国外派兵や作戦計画ばかりでなく国内の演習計画や師団の配置、治安出動や上級将校の人事にまでわたるようになって行った。すなわち、平時と戦時の区別があいまいになっていったのである。

◆「帷幄」の意味は本来「野戦用のテント」、すなわち戦時下の作戦本部を指す言葉。平時の案件も帷幄上奏によって特別扱いを求めて行くことが濫用であることは明らかだ。
逆に言えば、国軍を持つとは、平時・戦時の区別のない状態で、三権の長も関与できないブラックの領域が広がってゆく危険性に常にさらされるということだ。
関与させる仕組みは本来憲法の中に組み込まれていなければならず、かつ実際に機能するか、ユルんでいるところはないか点検する仕組みも備えておかなければならないのは言うまでもない。
不足なら法によって補修・整備を施さねばならない。
明治憲法であれ現行憲法であれ、その点は同じで、「りっぱな憲法ができた」と満足しているだけではダメ、ということだ。

◆そのためには、精神神主義でない、合理的な分別とその徹底が必要で、言葉を裏切らず、法の骨抜きを許さない態度が広く我々に共有されている必要がある。
教育が大事な理由はそこにこそあるだろうが、政治屋に虫食いされタガをはめられて気息奄々である現状をどうしたものか。


この記事のURL
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/623
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml