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茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(3)[2017年02月19日(Sun)]

DSCN9236.JPG
尾崎咢堂生誕地の記念館前にたつ「善悪の標準 碑」。
「世人乃幸福をます言行ハみな善事 之をへらす言行ハみな悪事」による。
善と悪とは人々の幸福を増す行いか、それを減ずる行いであるか、によってはっきりと区別される、というのだ。
「平和のための尊い犠牲」などというゴマカシは通用しない、ということになる。
(相模原市緑区又野)

◆◇◆◇◆◇◆

茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(3) 【承前】

◆前回、第16連の半ばで切ったことを悔いている。
情けない話だが、ためらいがあった。
教室でこれを読むことにしたとして、果たして読みおおせるだろうか?
さまざまな慮りで頭の中を一杯にし、体裁取り繕うことだけチラついて……。
それは親たちの戦争体験を訊くのを避けてきた気分と同じ性質のものなのではないか?
さらにそれは、いま私たちの目の前にある脅威に知らぬフリを装うことではないか?

五人から三人に減ってしまったりゅうりぇんれんたちが、こもごも語る故郷のこと。
なつかしいふるさとを思い出すことで、雪穴にこもる日々を耐えようとしたのだろう。
山東省の田舎の風景――まずそれは、祖父たちが丹精こめた棗(なつめ)の林だった。
だがそれは、日本軍によって伐られてしまった。
――それで話が終わるのではない。

ふるさとの人々が味わった汚辱の限りを思い出さないわけにはいかなかった。
いわゆる三光作戦(殺光・焼光・略光:殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)について、詩人の筆は手加減しない。
殺戮・陵辱の光景を書かないでは、ウソになるからだ。

そうして、それを避けて先に進むような読者は、作者にとって軽蔑にも値しないだろう。

昨日の詩の続き。
苦痛の記憶、妻を案じる懊悩から、絶望、そして再生までを。

*******

俺は見た
理由(わけ)もなく押切器(おしきりき)で殺された男の胴体
生き埋めにされる前 一本の煙草をうまそうに吸った
一人の男の横顔 まだ若く蒼かった……
俺は見た 女の首
犯されるのを拒んだ女の首は
切落されて臀部(でんぶ)から生えていた
ひきずり出された胎児もいた
趙玉連(チャオユイラン)おまえにもしものことがあったなら
いやな予感 重なりあう映像をふりはらい ふりはらい
りゅうりぇんれんは膝をかかえた
長い膝をかかえてうつらうつら
三人の男は冬を耐えた 半年あまりの冬を

まぶしい太陽を恐れ しびれきった足をさすり
歩く稽古を始めたとき
ふたたび六月の空 六月の風あまく
三人は網走の近くまでを歩き
雄阿寒 雌阿寒の山々を越えた
出たところはまたしても海!
釧路に近い海だった
三人は呆れて立つ
日本が島なのはほんとうに本当らしい
それなら海を試す以外にどんな方法がある
風が西北へ西北へと吹く夜
三人は一艘の小船を盗んだ
船は飛ぶように進んだが なんということだろう
吹き寄せられたのは同じ浜べ
漕ぎ出した波打際に着いていた
櫓は流れ 積んだ干物は腐っていた
猟師に手真似で頼んでみよう
魚取りの親爺よ 俺たちはひどい目にあっている
送ってくれるわけにはいかないか
朝鮮まででいい 同じ下積みの仲間じゃないか
助けてくれろ 恩にきる
無謀なパントマイムは失敗に終った
老漁夫は無言だったが間もなく返事は返ってきた
大がかりな山狩りとなって
追われ追われて二人の仲間は掴まった
たった一人になってしまった りゅうりぇんれん

りゅうりぇんれんははげしく泣いた
二人は殺されたに違いない すべての道は閉ざされた
「待ってくれ おれも行く!」
腰の荒縄を木にかけて 全身の重みを輪にかけた
痛かったのは腰だ!
六尺の躰を支えきれず ひよわな縄はもろくも切れた
ぶったまげて きょとんとして
それからめちゃくちゃに下痢をして
数の子が形のまんま現れた
「ばかやろう!」そのつもりなら生きてやる
生きて 生きて 生きのびてみせらあな!
その時だ しっかり肝っ玉ァ坐ったのは


*******

★脱出後に劉連仁(りゅうりぇんれん)が再会した他の四名は陳宋福(チェンソーフー)、杜桂相(トウクイシアン)、陳国起(チェンクォーチー)、ケ撰友(トンシュアンイウ)という名前だったことを最近出た下の本「生きる 劉連仁の物語」で知った。それによれば、45年8月半ば(終戦直後)に羽幌付近で捕まったのは陳宋福とケ撰友の二人であった。

他の二人、陳国起と杜桂相がつかまったのは、何と、道東の厚岸(あっけし)でのことだった。
北海道北西部・雨竜郡沼田の明治鉱業株式会社昭和鉱業所から脱走後、日本海側を北に向かい、やがて、鉄路をしるべに歩けば大陸へ行けるはずと信じたが稚内で線路は尽きた。その先は、ひたすら海岸線に沿って歩いた、その結果である。この本によれば脱出から9ヶ月後の1946年4月のこと。
りゅうりぇんれんはとうとう、たった独りになった。

森越智子生きる劉連仁の物語-A.jpg
森越智子「生きる 劉連仁の物語」(童心社、2015年)
2016年の中学生用読書感想文の課題図書に選ばれたようだ。
むだのない文章で一気に読ませる。雪の場面など胸に迫る作品だ。小樽生まれの著者の手が茨木のり子の詩から新たないのちをつむいだ。中国人強制労働の事業所の資料など、加害責任を明らかにする研究の成果もしっかり付してある。

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http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/427
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