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茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」(1) [2017年02月17日(Fri)]

◆朝日新聞夕刊の長期連載、「新聞と9条」の2月15日(連載第411回)から、1958年2月に北海道の山中で見つかった一人の中国人の話が出てくる。
翌16日の第412回に、その第一報を紹介している。
「雪に埋もれた山中に穴ごもりしていた中国人らしい男が九日」札幌北署当別派出所に保護されたが、日本語がよく通じないため十日札幌北署で事情を聞くことになつた」(1958年2月10日の北海タイムス記事)。
男性は劉連仁(りゅうれんじん) 、当時44歳だったという。

◆中国・山東省の一農民であった劉は、44年9月、日本軍支配下の中国兵に銃剣を突きつけられ、日本軍によって強制的に青島(チンタオ)に連行された後、北海道雨竜郡沼田村(現沼田町)の炭鉱に移された。劣悪な労働を課され、45年7月30ごろ炭鉱から脱走して12年半もの逃亡生活を続けていたのである。

朝日の今回の連載は、劉の出現を日本人がどう受け止めたか、当時のメディアの報道、国会での論議を描いていくようだ。

「りゅうりぇんれんの物語」

劉連仁のことは、茨木のり子が詩にしている。

「りゅうりぇんれんの物語」。全37連、題名を含め全562行(!)という異例の大作だ(岩波文庫版では38ページに及ぶ)。叙事詩といって良い。

茨木のり子(1926.6.12〜2006.2.17奇しくも今日が命日だ)は、ギュッと押し隠した戦時下の青春を「根府川の海」にあらわし、戦後のくらくらするような解放感を「私が一番きれいだったとき」に歌ったが、人間が国家に押しつぶされることがあってはならないことを、人間存在への共感と敬意をこめて表現した点でも、抜群の人だった。
この詩は次のように始まる。

劉連仁(リュウリェンレン) 中国のひと
くやみごとがあって
知りあいの家に赴くところを
日本軍に攫(さら)われた
山東省の草泊(ツァオポ)という村で
昭和十九年 九月 或る朝のこと

りゅうりぇんれんが攫われた
六尺もある偉丈夫が
鍬を持たせたらこのあたり一番の百姓が
なすすべもなく攫われた
山東省の男どもは苛酷に使っても持ちがいい
このあたり一帯が
「華人労務者移入方針」のための
日本軍の狩場であることなどはつゆ知らずに


◆新妻に事情を告げるすべもなかった。

りゅうりぇんれんは胸が痛い
結婚したての若い妻 初々しい前髪の妻は
七ヶ月の身重だ
趙玉蘭(チャオユイラン) お前に知らせる方法はないか
たとえ一月 二月でも 俺が居なかったら
家の畑はどうなるんだ
母とまだ幼い五人の兄弟は
麦をまき残した一反二畝の畑の始末は

通る村 通る町
戸をとざし 門をしめ 死に絶えたよう
いくつもの村 いくつもの町 猫の仔一匹見当らぬ
戸の間から覗き見 慄えている者たち
俺の顔を見覚えていたら伝えてくれろ
罠にかかって連れて行かれたと
妻の趙玉蘭に 趙玉蘭に


◆青島から門司へ、さらに……

門司からは二百人の男たち さらに選ばれ
二日も汽車に乗せられた
それからさらにハコダテという町
ダテハコというのであったかな?
日本の町のひとびとも襤褸(ぼろ)をまきつけ
からだより大きな荷物を背負い
蟻のように首をのばした難民の群れ 群れ
りゅうりぇんれんらは更にひどい亡者だった
鉄道に働くひとびとは異様な群像をたびたび見た
そしてかれらに名をつけた「死の部隊」と
死の部隊はさらに一日を北へ――
この世の終りのように陰気くさい
雨竜郡の炭坑へと追いたてられていった

飛行場が聞いてあきれる
十月末には雪が降り樹木が裂ける厳寒のなか
かれらは裸で入坑する
九人がかりで一日に五十車分を掘るノルマ
棒クイ 鉄棒 ツルハシ シャベル
殴られて殴られて 傷口に入った炭塵は
刺青のように体を彩り爛れていった
 <カレラニ親切心 或イハ愛撫ノ必要ナシ
  入浴ノ設備必要ナシ 宿舎ハ坐シテ頭上ニ
  二、三寸アレバ良シトス>
逃亡につぐ逃亡が始まった
雪の上の足跡をたどり連れもどされての
烈しい仕置
雪の上の足跡をたどり 連れもどされての
目をおおうリンチ
仲間が生きながら殴り殺されてゆくのを
じっと見ているしかない無能さに
りゅうりぇんれんは何度震えだしたことだろう

日本の管理者は言った
「日本は島国である 四面は海に囲まれておる
 逃げようったって逃げきれるものか!」



茨木りゅりぇんれんの物語_0002-A.jpg
発見直後のりゅうりぇんれん(石狩郡当別町の山中で)
 *北海タイムスより(下の集団読書用テキスト「りゅうりぇんれんの物語」所収)

茨木りゅりぇんれんの物語_0003-A.jpg
 全国学校図書協議会発行の集団読書テキストB24,1978年初版,2011年改版
(2014年の世田谷文学館での「茨木のり子展」で求めたもの)

◆長い長い詩の初めの数節、りゅうりぇんれんの苦難は始まったばかりだ。

詩のタイトルをひらがなにしたことでわかるように、詩人はこれを朗読されるべき詩として書いた。
 
少なからぬ舞台人や音楽家がそのことを理会し声に乗せて聴衆に届けてきた。
沢知恵による、ピアノを弾きながらの朗読もあると聞いたが残念ながら未見)

この詩を学校で読まれるテキストとして世に出したのも、同じ理会に拠っているだろう。
詩のことばに共振したたくさんの人たちが、この詩をさらに多くの人に届けたいと願うのは自然なことだと思う。




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