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鎌倉近代美術館 その1[2016年01月25日(Mon)]

鎌倉近代美術館にサヨナラを

DSCN4705-A.jpg
 本館と蓮池(平家池) 2016.1.22

◆鎌倉にある神奈川県立近代美術館・本館が今月いっぱいで閉じる。
鶴岡八幡宮からの借地契約が終わるのと耐震性の問題を抱えていた。
建築家協会からの要望を受けて建物が保存されるとの話はあるが、作品と人間の対話の場としてこの美術館が紡いできた歴史は失われる。

入場券売場で順番を待つ間、どの人も壁の石に触れたり、トンビの鳴き声に空を仰いでしばらく目で追ったり、それぞれにカマキンの名残を惜しむようだった。
ここで出会った作品や風景にまつわる人生のひとこまがあったはず。

◆例えば中庭にあるイサム・ノグチ(1904〜88)の「こけし」(1951年)。
いつ来ても懐かしさを感じさせる作品だ。

DSCN4691-A.jpg

これを制作したのはニューヨークでイサムが女優・山口淑子と出会い(石垣栄太郎・綾子夫妻の紹介による)、やがて北鎌倉・山崎の北大路魯山人のもとで新生活を始めた時期にあたる。
その意味でもここにこの作品が在るのは似つかわしい。

◆1951年から翌年にかけて、イサムはヒロシマの平和大橋2つの欄干を設計し無事実現させたが、それに続いて平和公園の要となる原爆慰霊碑の設計も引きうけた。
いずれも平和記念都市コンペに入選してプロジェクトを進める建築家・丹下健三の後押しがあった。
イサムもまた芸術家としてこれ以上の名誉はないと考えて慰霊碑設計に没頭したのだが、広島市の平和記念都市建設委員会はイサム案の不採用を決めた。
ドウス昌代『イサム・ノグチ――宿命の越境者』(講談社、2004年。のち講談社文庫)が記す丹下健三のイサムへのことばによれば、理由はイサムが「アメリカ人であるからかも」というのだった。
最終的な決定権限を持つ専門委員会有力メンバーの、イサムおよび彼を推奨した丹下の進め方への異論が根底にあったようだ。

アメリカと日本2つの血と文化の間で格闘し続けたイサムにとっては、作品への純粋な評価によるのではない理由で不採用となったことは大きな失望であった。原爆慰霊碑のデザインは急遽、丹下自身が作ることになる。
ここ鎌倉の美術館でイサム・ノグチ展が開かれたのはその直後、1952年の9月から10月にかけてだった。

◆「こけし」にまつわる個人的な出来事を記せば、この赤味を帯びた大理石は岡山で採れる万成石(まんなりいし)という石だと知って、亡き岡山の父の墓を建てることになった時、カロート(納骨する地下のスペース)の上に載せる拝石を万成石にしてもらった。
石屋の話では最近はなかなか手に入らない、ということだった。何とかあつらえてもらったのは赤味が淡いものだったが、生まれ育ったところを離れて永い眠りにつく以上、せめて故郷ゆかりの石を、と願った。
作品との出会いがきっかけでこうした私的時間を刻印することもある。

◆中庭の「こけし」は2階の渡り廊下から見下ろすこともできる。
この建物を設計した坂倉準三(1901-1969)が東京・青山にある岡本太郎の家・アトリエ(現在は岡本太郎記念館)を設計した人でもあると知って、思い出した。
空襲で焼けた跡に戦後建てたその建物も、吹き抜けの2階に渡り廊下がしつらえてあって、1階の作品を眺められる造りになっていた。

◆鎌倉のこの美術館で一番気にいっていた場所はやはり蓮池に面したテラスだ。
夏など、ここで腰を下ろし、水面をわたる風を受けながら池の亀を見下ろすも良し、白い天井に映る波紋の中に亀の影を探すのもまた良し。

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 *このテラス、映画『ノルウェイの森』に登場したそうだが、未見。

この日の池にはユリカモメ(都鳥)が一羽遊んでいた。

DSCN4653-A.jpg

◆ベンチの後方、階段下の窮屈なスペースに大事な作品が何気なく置いてあったりする。

DSCN4641-A.jpg

「もの」派の作家・李禹煥(リ・ウーファン 1936年〜)の『』だ(1985/200? 銘板の数字がかすれて再制作の年が判読できなかった)。
鎌倉で制作を続ける重要な現代作家である。

展示スペースが手狭だという制約は、訪れる者にとっては作品と親密になれるむしろ好条件だともいえる。

以前、横浜美術館の李禹煥展を観終え、出口で図録を求めた折に、すぐ横で本を手にしていたのが李禹煥その人であることに気づいて、そのとき観た作品たちが発散していたものの正体がハッキリと焦点を結んだ気がしたことを思い出した。
鉄と岩という無機質の素材による作品の周りのあちこちに作家が立ったりしゃがんだり腕組みしたり、岩に手をかけて位置を変えようとしていたりする姿を想像しようとしながら見て回っていた。

音楽評論家・吉田秀和氏のセザンヌを論じた本で絵を観るコツ(作家の筆の運びを追ってゆく、というやり方)を教わり、それを漱石の書を前にして試みてうまくいった(気がした)経験が一度だけある。
書は運筆をたどることが可能であるせいか、紙に向かう作者の姿が自ずから浮かんでくる(気がした)。墨を継いだ箇所も分かり易いが、やがて筆のスピードや作者が呼吸する姿も想像できる(気がした)。

それを立体作品に応用してみようと思って抽象的な李禹煥作品でトライしてみたのだった。
容易に動かせない素材だから、その周りをいろんな角度から眺める作者を想像してみる、というやり方で。

その直後にご本人に遭遇したのだから驚いたが、想像していた背格好に重なったのも事実。
その体験を懐かしく思い出しながら間近で作品『項』を観ることができた。

李禹煥は横浜の鉄工所で作品に使う鉄を製作してもらうそうだ(保土ケ谷か西横浜当たりとおぼしい町工場で職人さんにイメージを伝える姿をTVでやっていた)。
素材をつくる人間もそれを作品にする人間も場を共有する手間を省くことはできない。

作品を観る者にもその手間は欠かせないものだと思うようになった。
作品とこちらの間に作者の動きや呼吸を感じるようにすること。
そうした場に身を置くこと。
美術館の要件とはそれを可能にする空間ということになる。

それが実現した時に、作者・作品とそれを観る者とは、しばらくの時間をともに呼吸することになるのだと思う。
どんなに印刷術やデジタル技術が精緻になっても写真や複製では限界があるのはそのためだろう。
平面であれ立体であれ、事情に違いはない。

DSCN4710-A.jpg
 西日を受けて陰り始めた入口の正面階段。
 手前に横たわる黒い大きな石は山口牧生(1927〜2001)の
 『棒状の石あるいはCosmic Nucleus』(1976年)。
 〈宇宙の核・中心〉という意味か。

 展観は1月31日(日)まで。



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