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飼い犬に手をかまれる日[2014年08月06日(Wed)]
生田駅に向かう坂道2014080620100000.jpg

日が高くなるまで爆睡してしまった。広島の日なのに情けない。
 
*右は今日訪ねた高校の通学路。行きは心臓破りの坂に思えたが、帰りは立ち去りがたく、しばし丘陵地の木陰を楽しんだ

相棒のPoeの散歩は家内に任せ、朝刊(朝日新聞湘南版)で昨日の実教日本史教科書をめぐる教育委員会、選定やり直しを求めた請願が不採択となった記事を読む。


課長の実教排除の指示を「不用意な発言」と表現した教育委員のことばは事の重大さをわきまえない不見識なものだ。単なる雑談中の「発言」ではない。5月14日の「教育課程説明会」が講演や漫談を聴く会であったとでも言いたいのか。副校長・教頭といった各学校の幹部たちに重要な教育上の課題・情報を伝え、「指示・督励」する重要な場であったはずだ。
「教科書採択が再考依頼にならないように。新たな通知は出さない。」という言い方は誰が聞いても有無を言わせぬ指示・力を背景にした指導であり、県教委幹部のあからさまな実教出版排除の意志を押しつけられて抵抗感を覚えた人もいるはず。
緊張感をもって傾聴していた副校長らの中には質問がノドまで出かかった人もいたのではないか?−−
「それ(昨年の特定の教科書を名指しで排除すること)、マズくないですか?」
「いやしくも検定に合格した教科書ですよね?ヤバいっすよ。」
「教科書抹殺って始皇帝の時代の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)かナチス時代のミュンヘンの焚書みたいじゃないですか?映画『白バラは死なず』観ましたよ、生徒たちと一緒に。その時の教え子で教壇に立っている子もいます。」
「こんな大勢の前で悪事に手を貸せとそそのかされると、オカシイと思う自分の方がひょっとしてオカシイのかと思えて来るんですが、今しゃべっているあなたが正しいんですか?」
「赤信号みんなで渡ろう、ということですか?」
「これって一蓮托生ですか、運命共同体ですか、それとも共同謀議ですか?」
「何かとんでもない歴史の転換点にワシら立っちゃってるってことですか?」
???????
頭の中はこんな疑問がグルグルぐるぐる回っていたはず。何人もの現場の教員たちが、オカシイ、と声を揚げ、「オレもオカシイと思う」と話す管理職もいたのが各学校の実際の姿だ。
それを、説明する幹部は「学校現場で混乱があるとは聞いていない」と説明し、委員長がそれを復誦して「確認した」と宣言するやりとりが続いた。知ろうとしなければどんな大変な事態もなかったことになる。
台本通りに展開させようとするから言葉に生気は無く、あくまで突っ込みを入れてはいけない役回りをはみ出さないように話そうとするので、続くべき言葉が迷子のようにさまよい、バツの悪い(……)が何度かスキ間をつくってしまう奇妙な会議であった。
何だこの空気感は!!
おそらく満場のスタッフ、傍聴者や取材陣も「アンダー コントロール」の安倍プレゼンに背中の冷や汗を覚えたことを思い出していたのではなかったか。

*****
……と思い返しているところに突然我を呼ぶ家内の大声。指を押さえている。飼い犬のはずのPoeがかみついてきたのだ!!
ドッグフード+牛乳がいつもの食事だが、暑い夏でも牛乳を人肌に暖めてやらないと食べず、ジッと固まった姿勢のままになる。こうなると声をかけてもウナるので不機嫌だと分かる。
不用意に近づくと飼い主にだって刃向かってくる。その不機嫌な時に不用意に近づいた家内が犠牲となった。
応急処置をして再び新聞を読み返す。
*****

2014年5月14日の実教出版教科書を排除する自らの指示、(あるいは)誘導、(でなければ)教唆を「指示・指導はしていない」とO高校教育指導課長は弁解した。それがその通りなら、「指示・指導」していない以上、実教を使いたい学校は堂々と選定し直して良い、と伝え直すことが物事のスジ目だ。
実教を使いたいという教科の希望を押しつぶし校長が書き換えさせた学校が現にいくつもあるのだから。それでは困るというのなら昨8月5日の「指示・指導はしていない」というのは責任逃れの方便でしかないことになる。

一方「不用意な発言」と非を指摘したように見える教育委員の言葉も、身内意識から県教委事務局をかばう意図でのせりふであるとしか受け取れない。この言葉を少し丁寧に言い換えれば、「用意して臨むべきだった」「そのぐらい分かっていると思っていたのに、やり方が拙劣で失望した」となる。「不用意な発言」や「失言だった」というコメントは、本音に切り込む意志も、マチガイを善導する意志も無いことの表明として使われる。都議会でヤジを飛ばしたセクハラ議員への身内のかばい方を見れば事情は同じだ。論点をずらし、本質に切り込ませないずるいやり方である。
「不用意」だったのがイケナイのであって、「用意」して臨めば問題なしだったのに、という本音が透けて見える。具志堅委員長が「昨年、『再考の依頼は適切だった』と県教委で判断していることから、今回、昨年の経緯を説明したのは適切」として私たちの請願を退けたのは、まさしく身内同士のかばい合いを演じていることの証明だ。教科書を使う教師たち専門職の人々や県民の方にきちんと顔を向けたコメントでは全くない。
昨日は、県立高生の親の立場からの切実な声も請願として出された。昨年の「再考」という不適切なやり方を改めなかったために、今年は事前排除へとエスカレートし排除される教科書の拡大として一層深い泥沼にはまり込んでいる。
その現場に立ち会ってしまった管理職たちは沈黙を続けるのであろうか?沈黙を続けたとしても、その場にいた事実を消すことはできない。
従って、「不用意」ということばで幕引きを図るならば、飼い犬にかまれる事態になりかねない。
境川脇2014080619440000.jpg





小田急線での帰路、町田から相模大野に入るところで「境川」を渡る。シャッターの反応遅く、川面が写らなかった。右奥の護岸が川の流れるあたり。
いつの日か、ペットボトルや空き缶の回収をしつつ境川を遡上して気がついたらこの辺りに到達していた、というのも悪くないナと思っています。
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